2011年11月11日金曜日

江戸は夢か(東海道中膝栗毛番外編)


 今、バーチャルな江戸の旅を楽しんでいる。県内の温泉でさえ行きかねている貧しいやまさんだが、唯一の贅沢、パソコンとネットを持ったおかげで仮想とはいえ、歌川広重の木版画に仮託して天保時代の東海道の旅を続けている。

 考えるとこれほどの贅沢はあるまいと思う。確かに金さえあれば、今や世界のどんな地域、それが秘境であろうとも行くことができる。そして金を使い楽しむことができる。
 しかし、どんな億万長者であろうとも時間を遡り、江戸の旅をすることは万金を使ってもできまい。もちろんそれはビンボー人にとっても同じことである。
 それでも江戸の旅をしたいものは仮想現実の世界か夢の世界での実現しかないだろう。ここにおいては金持ちもビンボー人も差はないだろう。

 いやむしろ現実の旅行が困難な分だけビンボー人の方がその動機も強いし、腹減って常においしいごちそうの夢を見る訓練ができているため、何でも実現する金持ちより、仮想の世界や夢の世界にすぐぶっ飛ぶ力が強いかもしれない。

 キリストだったか
 「貧しいものは幸いである。心豊かなり」
 とか言ったようなきがするが・・・・・

 何でも金持ちには勝てないんだから、せめて「心の旅」のようなものではビンボー人の方が勝ちたいと思うよね。
 でも貧窮に責められれば、心も貧しくなりそうな気もする。
 しかし、それじゃ、救いがない!仮想や夢ぐらいビンボー人の方がまさっていると思いたいよね。

 「しょせん、バーチャルな江戸の旅、といってもそりゃ、白昼夢にしかすぎん!」

 とおっしゃる方もいようかと思いますが、私にとって

 「江戸は夢か?」

 と問われれば、夢ではなく私の心の中では確かに存在します。江戸は私にとってすぐそこのような気がします。
 よく祖父から聞かされた曾爺さん(生まれたときは亡くなっていた)は〇〇新左衛門といって江戸生まれでした。また小学校の低学年まで近所にいた九十何歳のおばあさんは自分で

 「わたしゃ、文久(徳川家茂の時代)のうまれじゃ」

 といってました。我が家には江戸時代の刀、槍などもありました。
 そして大きくなって歴史好きになりより江戸時代が身近に感じられるようになると、江戸は決して夢でなくつい私が生まれるちょっと前の時代となりました。

 天保時代の東海道の旅は私の何代か前の爺さんが実際旅したものであったと思うとき、広重の版画に手をくわえつつ

 「ホンマにたびしよるようじゃなぁ~」

 との感を強くします。


 弥次郎兵衛と喜多八のプロフィール

 2人のキャラをここで簡単に紹介しておきます。

 弥次郎兵衛は原本では「ただの親父なり」と書かれています。喜多八より年上で親子ぐらい年齢は離れています。
 既婚者でしたが妻は亡くなります。ルーズな男で妻はかなり苦労したと思われます。おまけに女をだますというまでには悪質ではありませんが、あまり働かず、女の金を当てに調子のいいことを言って貢がせたり、食い物にしたりするところがあります。
 そのため妻は死んだのに手元には結構な金が残り、その金をあてに妻が死んですぐに喜多八を連れ立ち、極楽とんぼな東海道を上り西国物見遊山の旅に出ます。

 喜多八、これもまじめな男ではなく、美男というわけでもないのになぜか歌舞伎の役者の端くれとなります。しかし大きな役が付くはずもなく、お決まりの役者崩れとなります。
 この時代の役者崩れと云ったら、金持ちの後家(亭主が死んで体を持て余している熟女)の男妾。あるいは役者に上がる前に働いていた陰間(今だと若手のオカマバーというものだろう)の趣味をいかして、男相手の妾(歳がいってゲイからガチホモになったのか)。
 しかし、この野郎は女も大好きで、女を見ると口説きにかかるところがありますが、全然持てず馬鹿にされっぱなしになります。
 弥次さんと知り合ったのは文字通り、「尻あい」としてではなく、女関係のややこしいもつれからでした。

 まあ、この二人、憎めないのですが、女に関しては性質(たち)の良くない男で、原本でも色事には様々チャレンジしますが失敗、恥かきの連続となります。

 江戸時代、こんな男がふらふら生きていたというか生かされていたというのも驚きですが、大金を持って何カ月にも及ぶ旅に出たというのにもびっくりします。
 江戸はエロスばかりでなく人の生き方もなかなか奥深く幅広いものがあります。

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