2011年11月10日木曜日

パロディー東海道中膝栗毛 その1

 江戸神田裏長屋

 九尺二間の棟割長屋に住まいする弥次郎兵衛喜多八、通称、弥次さん、喜多さんは京までの物見遊山の旅に出発した。

 当時は乗り物とて、駕籠、馬、渡し船くらいしかなく、ほとんどは歩きの旅である。15日ほどかけて東海道を上る(京が都であるため江戸時代は江戸から京へは上りの旅といった。)

 大荷物は負担になるだけである。手荷物だけであるがそれも振り分け荷物にする
(2つに分け紐で結わえ、前後に担ぐ)
 大家を通じて町名主からもらった「道中手形」、路銀は懐深くしまう。この時代すでに旅先で使える為替もあり、無用な大金は事故のもとなので持ち歩かない。

 早朝、長屋の衆に選別をもらい、見送られて出発する。

 五街道の起点、日本橋

 日本橋は大変な賑わいである。近くの魚河岸で仕入れた魚をさっそく売り歩く「棒手振り」(ぼてふり・行商人)たち、間の悪いことに大名行列とかちあってしまった。大名行列は街中では隊列を組みゆっくり進むので、弥次・喜多は一足先に急いで行く。
 
 川崎・六郷の渡し

 品川を過ぎ最初の渡しを渡る。

 神奈川

 海岸に沿って街道が続いている。茶店では女が客を引っ張っている。
当時、東海道から外れた横浜村は貧しい小さな漁村にすぎない。これを見るといまの繁栄が嘘のようである。

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