2011年11月12日土曜日

パロディー東海道中膝栗毛 番外特別編

 
 旅で喜多八が入った風呂について
  
 風呂好きの私としてはこの旅の旅籠の風呂場がどのようなものであったのか気になるところなのでちょっと調べてみた。
 宿場「赤坂」の旅籠で入ったのはどのような風呂だったのであろうか?

 原本に出てくるがこの時の風呂はいわゆる「五右衛門風呂」の一種である。狭く一人しか入れない。

  喜多八が肩にかけているのは「日本手ぬぐい」、晒し木綿で出来ている。タオル地などは明治以降です。 







 左が五右衛門風呂である。上に板が浮いているが足でこれを沈めつつ入り、底に沈めた板の上に乗って湯に浸かるのである。
 そうしないと、そこは直接火にかけられた鉄板なので足裏が火傷してしまうのである。 
 江戸っ子でこのような風呂に入ったことのない喜多八は直接鉄板に触り火傷しそうになりますが、聞くのも名折れとばかり、工夫しようと考えて、そばにあった下駄を履いて入ります。足裏は火傷しないんですが、がさつにも湯の中でドタドタして底を踏み壊し、大騒動になります。
 もちろん弁償させられ笑いものになります。
 構造は左のようになっています。
 喜多八は江戸育ちですから湯屋の湯船しか知らないんです。
 左が江戸の湯屋の湯船、五右衛門風呂と違い、箱型で広く、10人くらいは入れる。
 底が鉄板などということもなく、沸かした湯を流しいれる方式のようです。



 旅の旅籠でこんな風呂は望めません。五右衛門風呂のような一人用の風呂が普通だったと思われます。
 「え!それじゃ、大勢泊まったときはどうするの?」
 どうもしません。その一つで全員入るのです。最後は湯がドロドロになるに違いありませんね。それでもこの時代の日本人は湯がある旅籠を好み、旅の疲れをいやすために湯に入ったのです。

 まあ、大抵、湯屋や便所は非常に暗いですから、夜泊まる客には汚い湯も隠せますね。

 せいぜい水を継ぎ足し継ぎ足し(少しは薄められてきれいになるか!)、うんと熱めにして、入ったと思います。殺菌のつもりですかね。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

五右衛門風呂は妻の実家で入ったことがあります。最初は板を底に沈めるのに躊躇しましたが、なれれば浮遊感覚が何とも言えず、いい湯でした。(^_^.)

yamasan さんのコメント...

なつかしい話しですね
 私もうんと小さい頃、親戚かどこか忘れましたが入りました。

 奥様の里あたりは最近まで残っているんですね。修理して使い続けて欲しいと思いますが不便だからそうもいかないでしょうね。
 私から言わせると、伝統ある文化財のような気がしますが・・