忠臣蔵のクライマックスは吉良邸討入りであるが、その吉良邸があったところが本所松坂町である。11月3日、その吉良邸(吉良上野介義央)の跡に行ってきました。
現在は公園になっていますが、吉良邸の跡であることを表すため海鼠塀に囲まれていて、入り口は当時の吉良邸の裏門か勝手口のようになっています。
内部に入ると吉良義央の木像があります。江戸時代に作られた木像のレプリカです。実際の吉良義央に似ているといわれています。黒の束帯姿でこれは従四位を表します。官は左近衛少将、浅野内匠頭よりずっと上位の人でなおかつ浅野の殿中作法の指南役、いわばお師匠さん・先生です。辞を低くして教えを乞わねばならない立場の人が浅野です。それを何をトチ狂ったか殿中でそのお師匠さんに一方的に刃傷、当時の常識から考えても非は浅野にあります。
浅野家は断絶になり、その後その浪人が徒党を組み、夜中に吉良邸に押し入り主君の敵として義央は殺されます。これは許されるべきかたき討ちではなく、夜盗火付けの類の大罪として断罪されてもしかるべき罪です。しかしかたき討ちが好きで判官贔屓の当時の庶民は浅野の浪人に大いに同情します。幕府も世論に影響されたのか浪人たちは名誉ある切腹で処理されます。死後歌舞伎などにも浅野の浪人は同情的に取り上げられ、ますます義士として虚名が高まります。
するとどういうことになるか。浪人どもを義士として際立たせるためには吉良の爺さんはウンと悪く描かなければならない。憎々しげな敵役の虚像が作られていきます。しかし、江戸時代でも知る人は知る、浅野の愚かさを指摘し、吉良は被害者とする見方をする人もいました。もっとも庶民は歌舞伎などの影響もあって吉良の悪人説は決定的になります。
穏やかで優雅な表情をしています。悪人説は明治以降徐々に名誉回復されていきます。
下はウソかホンマか、吉良の首を洗った井戸と言われています。
動画です。
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