2019年5月26日日曜日

今日は高津の宮さんについて

20150518

 昨日のブログは大坂・生玉はんを取り上げましたが今日は高津の宮はんを取り上げます。

 先月はたった一日の大坂旅行でしたので多くは回れぬものと覚悟し、どうしても行きたい場所を三つ決めてそのあたりを中心に観光しました。その三つとは「天満の天神さん」「高津の宮はん」「生玉はん」です。四国の人跡も途絶えるような山奥に住むワイにとっては大坂の地理には詳しくありません。でも有名なところはいろいろなところで聞かされて幾つか知っています。その中で神社仏閣で聞き知らされていたのが大坂では「天王寺さん」「天満の天神さん」「高津の宮はん」「生玉はん」です。前年の8月に「天王寺さん」には行ってブログも作ったので今回はそれ以外のところに行きました。今日のブログは先月に行った旅行の一部、「高津の宮さん」についてです。

 80有余年生きてきて一度も行ったことない「高津の宮さん」という神社があることを何で知ったか?考えてみますと、旅行書でもなく本でもなく、どうも昔よく聞いていた落語からのようです。

 「う~~~んと???こうず、こうず、まてよ、そういや、落語で、こうずの富くじ、というおもっしょい話をきいたが、あれって、高津神社のことかいなぁ?」

 こういうとき文明の利器の電網は便利なもので「こうずの富くじ」と打つと、すぐヒットしました。やっぱ、こうずの富くじの舞台の高津とは大坂の高津神社のことじゃわ。

 高津神社の境内(思ったほど広くはなかった)をうろうろしてるとこんな碑がありました。


 「そうじゃ、昔、聞いたこうずの富くじの落語家はこの人だったんじゃ」

 江戸時代の宝くじは神社が主催者だったんですね。江戸時代から、一発あてて大金持ちに、という夢は今も続いているんですね。当たるまいと思いつつも、まさかの僥倖を信じ・・・期待する・・・そして、当たって正気を失うほど動転するところ、など現代でも通ずる宝くじ発表時の緊張は江戸の昔も同じですね。

 他にもネットでここを舞台にした上方落語があることを知らせてくれました。「崇徳院」です。これも昔聞いて知っていました。やっぱりおもっしょいお話しです。江戸時代、大坂の商家の若旦那がこの神社で会った娘に一目ぼれすることが発端になる話です。

 道頓堀から真東に高津の宮さんがあるのですが歩くと大坂の意外な地勢がわかりました。大坂って三角州や砂嘴の上を整地した町だから全部平坦な場所ばかりだと思いましたが、高津の宮はんのあたりを歩いてびっくり!坂だの崖だのが多いのです。上町台地というのだそうですが、台地というより小さな山に登るような感じの急坂もありました。

 下はその動画です。高津の宮さんの近くに近松門左衛門の墓も見つけました。

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