4月の大阪の旅で上方落語のルーツではないかと思われる史跡をいくつか見ましたのでご紹介します。
大阪の誇る文化的特長のひとつに『お笑い』がありますね。日常的な生活で笑う場面は多々ありますがこの『お笑い』とは、大衆に聞かせ、あるいは見せてお笑いをとる芸のことです。
パブリッシュな芸としての「お笑い」は古くから(中世いや古代にまで遡るだろう)ありましたが、文字にでも残さぬ限り、庶民の芸としてのそれは今となってはわかりません。
江戸初期において『お笑い』をとる文芸がこの上方において存在しました。いくつかあるでしょうが、いったように文字として書かれて残っているものしかその当時のものは残っていません。
そのなかで上方を中心にはやったおかしみ、笑いをもたらす韻文として「俳諧」があります。談林風俳諧です。その中心的人物・西山宗因の記念碑が大坂天満の天神社境内にありました。
また読み物としておかしみ、お笑いが入ったものとして井原西鶴の草紙があります。これは大坂の生玉神社の境内にありました。その写真と説明版です。
また今日まで残る話芸としての上方落語が生まれるのは江戸中期、この生玉さんの付近でした。その話芸の先駆者は「米沢彦八」です。
生玉さんの境内にその碑があります。(動画のキャプションでは変に略称して米八とありますが、米沢彦八です。まちがいました)
下は説明文です。
この生玉さんの境内・参道は多く人々でにぎわい、それを目当てにいろいろな雑芸で銭を稼ぐ人々がいました。生玉さんの入り口にこのような説明版が立っていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿