2019年5月25日土曜日

ジーボルト徳川の大坂を行く その1

20150429

 ちょうど一週間前に大阪を散策してきました。私の趣味に基づく歴史散策です。大阪の歴史スポットを歩くうえで2人の歴史上の人物の大阪における行動を参考にしました。江戸時代ですからこの2人に『観光』という概念も自覚もないのですが、今の我々から見ると『江戸時代の観光』というものでした。当時はこのような行動を『もの参り・物見遊山』とか言っていました。この言葉からもわかるように当時の観光は、もの参り、つまり神社仏閣めぐりが第一でした。次に物見遊山、これが現代の言う観光に最も近いものでした。

 その二人は、だいたい同時代の人で文化・文政時代、江戸の文化が最も爛熟したある意味、江戸の最盛期といっていい時代でした。一人は(もっとも2人一組だ)、東海道中膝栗毛の主人公弥次さんと北さん、もう一人は、なななんと外国人!それも紅毛碧眼の紅毛人(北西ヨーロッパ人をこう呼ぶ)えええ?この時代って、たしか鎖国時代でしたよね、この時代、大坂を外国人がウロウロなんてあり得るのでしょうか。

 それがあり得るのです。ほとんど唯一の例外ですが、オランダ商館代表の江戸参府です。長崎での貿易の許可の確認とお礼を兼ねてオランダ人は18世紀が終わるまでは毎年、以後は4年の期間を開けて江戸城に参府しました。小大名の参勤交代ほどの50人を超えるお供を連れての長崎~江戸の旅行です。行くときはまだ将軍にお目にかかってご挨拶していないのでもの参り、物見遊山などはほとんど許可されていませんが、帰りの道中は、名所スポットではかなりの自由が許されました。京都、大坂、特に大坂では神社仏閣ばかりか歓楽街で遊んだりもしています。ちょっと驚きですね。

それでは「ジーボルト徳川の大坂を行く」を見てみましょう。

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