江戸時代の文書や本に書かれている「おおさか」という地名を見ると『大坂』と書かれている。『阪』の字がではなく『坂』である。『阪』の字が用いられるようになったのは明治維新後である。嘘かホンマか知らんが維新の英傑の一人が、『坂』ちゅう字は士(つまり武士でんな)が反(そむ)く、から都合がわるい!とか言うたとか言わなんだとか・・・そいで同じ読みで旁(つくり)も似ている『阪』の字にしたそうである。
もともとのオオサカは大坂。字義から解釈すると地形の坂に関係しているのかな、と思う。しかし、大阪は三角州の上にできた低湿地を整地して誕生した町だから坂は関係ないものと思っていた。大阪の繁華街(キタもミナミ、心斎橋、道頓堀、など)はどこ歩いても平地ばかりである。
しかし、今回歩いてわかった。大阪の始まりの地区(つまり古代や中世から開けた大阪でも由緒あるとこ)は非常に坂や崖が多い地場所に集中しているのだ。そこは上町台地といわれるところである。古代中世には大阪は海がずっと内陸に迫っていてまた陸化された平地でも低湿地が多く水はけが悪かった。そんな中、南から北に向かって長く伸びた小山というか台地があった。それが上町台地である。下に地形図を示す。
今回、高津の宮から四天王寺に行く合邦ヶ辻まで歩いた。その道は上町台地の西端を縫っている道であるためか坂や崖が多い。この坂群を『大阪七坂』というそうである。知っていました?
結局、この七坂すべてを通り、写真と動画に(清水坂は動画です)撮ってきました。まず北から
真言坂
源聖寺坂
口縄坂
愛染坂
清水坂
天神坂
逢坂
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