2019年5月20日月曜日

四天王寺西門は何億光年をひとっ跳びワープ走法だぁぁぃ

20140825

 四天王寺は日本で最も古いお寺の一つである。ただし創建当時の古い建物は残っていない。1400年以上もたっているのでその間に落雷・火災あり、兵革での破壊あり、20世紀になってからは空襲による火災ありで何度か建てなおされている。しかし建物の様式は古代の様式が再現されていて飛鳥時代の寺の雰囲気を今に伝えている。
 天王寺の広い境内に入るのに西側から入ると入り口には鳥居が立っている。お寺なのになぜ?不思議だなぁ~、と思うのは現代人だからである。昔は神社の中に寺(神宮寺とよんだりしている)があり、また寺の中に地鎮の神を祀る神社やお社があったりする。このように混在しているところも多かったが、まったく融合してしまって神でもあり仏でもある場合もあった。大日如来が天照大神だったり、阿弥陀如来が熊野の神様だったりした。このような神仏習合の霊地は各地に存在した。明治になり神仏分離令で無理やり神の領域と仏の領域が交わらないように敷地建物も分けられた。また神仏が習合して一体となっているということに対しては、神仏どちらにでもとれる二面性は否定され、どちらかの一面性を持つ神あるいは仏となった。
 この四天王寺は古くからの神仏習合の寺である。だから西入口に鳥居が立っているわけだ。下図をご覧ください。鳥居の向こうに見えているのは西門である。このような古代伽藍様式の由緒ある寺は南入口に『南大門』があってそちらが正式の入り口であるが、オイラも含めこの西門から参詣する人も多い。それは中世以来、流行となったある信仰と結びついているからである。
 それを知るためにはまず鳥居に掲げられている扁額を見てみよう。普通、鳥居の扁額には神社の名前などが書かれているが、これには何やら経のような一節が書かれている。そこには
 『釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心』
 とある。意味は、「ここは御釈迦はんが仏法を説いたところで、(四天王寺では西門だが)極楽では東の端の門に当たり、まさに極楽の入り口である。』である。

 ここまで説明すればわかってもらえると思うが、ここは極楽往生を願う人々の聖地であった。私がここを強く意識していつかこの門に詣でてやろうと思ったのは、3年ほど前、ブログで「中世の旅」をしたときここにバーチャルに詣でたからである。
 その時の中世の絵巻を見てみよう(一遍上人絵伝より)、一枚目は四天王寺の西の門(現代では上の写真の奥に見える赤い門)で教えを説く一遍。右端の痩せた僧侶が一遍さん。
 そしてこの絵の左のつづき(真西)に現代の四天王寺と同じで鳥居が立っている。(上図の左続き)当時は現代と違って木の赤い鳥居であった。

 さらに上図の鳥居を左(真西)に行くとやがて土手のような段差があり下りてさらにいくと・・・・・・

 そこは海岸である。複雑な形の海岸線が見える。この時代、四天王寺から海は近かったのである。
 この一遍さんの時代13世紀ころの海岸線はずっと内陸に入っていました。そうすると絵図でもわかるように(途中、段差があって頭に桶を載せ、子どもを導く母が段差を上がってますね) 、四天王寺は微高地(上六台地という)ですから、一枚目の西門から夕方、鳥居のほうを見ると真西ですから、鳥居から海岸と水平線が見え、赤い夕日が沈むのが見られます。
 現代でも春秋分のころ、ビルで海は見えませんが真西に沈む夕日が、天気がよければ見えます。鳥居横の説明版に写真があります。
 
 現代人である我々がこのような、四天王寺の西門、鳥居の中に見える海の水平線、真西に沈む夕日、などのシュチュエーションに立たされても、「ああ、きれいな眺めだなぁ~」と感動するくらいでしょうが、中世人は違いました。西方は極楽浄土がある世界、そこに光芒を放ちながら沈む茜色の夕日は極楽浄土の仏のシンボルでした。いつのころからか、この四天王寺の西門は極楽浄土の東門であるという信仰が生まれました。四天王寺の西門のすぐ隣が極楽浄土の世界ならば、四天王寺の西門は極楽浄土の境内からは東門にあたりますものね。
 苦しい中世世界を生きねばならぬ人々は、せめて来世では極楽浄土に行けることをこいねがいました。しかし西方極楽浄土の世界は遥かに遠いと信じられていました。その距離は十万億土。っていっても、ものすごく大きい数字なのはわかりますが、単位の「土」っていったいどれくらいやろ?この「土」という単位、その意味するのは極楽からこの世までにある数多くの一つ一つの宇宙が『一土』である。その我々が住む現世から極楽の間に存在するのが十億個の宇宙と言われている、これが十万億土という隔たりである。つまり十万億個もの宇宙を超える距離となる。ひぇぇぇ~~~、隔たりが大きすぎて想像もつかん!
 この十万億土を今の距離に直して計算した人がいましたそうすると160億光年かなた。こんなに遠くっちゃぁ、いくら死んだ人の魂は早く動けるといっても、光速度を超えることはできんから、光の速さで魂が走っても160億年かかる。魂もへたばってしまいますわな。
 そこで考えられたのが「ワープ操法」(あっという間にいく方法)。極楽の何か手がかりになるものを「観想」(心に想い描く)方法です。そうするとなぜか極楽に瞬時にいけるというか、あちらのほうから掬い取ってくれるそうです。
 その「観想」にこの四天王寺の西門からの眺めはもってこいでした。もちろん、現世でこのシュチュエーションで西方を参拝しても即身成仏して極楽に行くわけではありません。自殺でもしない限り死期というのはあるわけですからそのまま極楽浄土の改札口とはなりません。しかし、ここを参拝して、しっかりこの情景を心に焼き付けておけば、死期が迫ったとき極楽往生するための「観想」の手がかりとなります。仏教では縁を大切にしますから、四天王寺の西門すなわち極楽の東門に行って参拝したことは極楽にいけるための大きな縁となるに違いありません。
 ・・・・・・とまあ、中世人はこのように考えたんでしょうね。
 もちろん、もう先の長くないやまさんもたっぷり西門から極楽を「観想」してまいりました。
我は何して老いぬらん 思えばいとこそ 哀れなれ 今は西方極楽の 弥陀の誓いを念ずべし (中世歌謡「梁塵秘抄」より、今様の一節)
次回は『天王寺の妖霊星』です。また読んでね。
 動画も参考に貼り付けておきます。四天王寺の回廊内の、講堂、金堂、塔の配置は一直線に並び、大伽藍建築様式の一種で四天王寺様式とよばれている。ちなみに他には、法隆寺式、飛鳥寺式、薬師寺式がある。この配置図を元にそれぞれの様式名を答えさせるのは高校日本史レベルでは最難問の一つとなる。(  ̄▽ ̄)b

0 件のコメント: