勝手気ままな移動ができなかった大昔、長距離の旅行など庶民には夢のような話であった。しかしその中で例外的に旅ができることがあった。それが『巡礼の旅』である。短くても数か月、長ければ数年、いや、中には死ぬまで旅をする覚悟の旅もあった。もちろん今のような便利な乗り物などない。馬や駕籠など(ヨーロッパでは馬車なども)あったが、巡礼はひたすら自分の足で歩くのである。
旅といっても巡礼の旅は物見遊山の旅ではない。信仰の証として、あるいは修行として、さらには贖罪(罪滅ぼし)として、中には人が忌むべき病(具体的にはライ病、重症の皮膚病など)のため追われるようにして巡礼の旅に旅立ったひともあろう。
ほとんどの巡礼は路銀(旅行費用)などの持ち合わせもなく、喜捨やもてなしなど人々の慈悲にすがり巡礼の旅をつづけたのである。粗食に耐え、旅先での重病や死亡も受容する覚悟の旅であった。江戸時代、四国巡礼に発行された遍路手形がある(パスポートのようなものである)が、手形文の最後に遍路手形のみはこのように書かれていた「・・・この者、大病に倒れ、あるいは死すとも、出身地や身寄りに連絡は一切必要なし、死骸は取り捨てられても構わない」
このように巡礼の旅は大変苦しいものであったが、それでも巡礼に旅立とうとする人が後を絶たなかったのは上記の理由のみではない。封建時代にあって人びとは目に見えぬ鎖でその身はつながれ、生まれ育った地に柵で囲い込まれていた。そんな中で人々が自由を求めるのは全く不可能であったのだろうか?人の自由は肉体的、空間的なものばかりではない。それ以上に大切なのは心の自由である。
心の自由とは一体何か、今もそうだが心の自由を妨げるものは人間関係である。今は建前上は上下関係や隷属関係はないが封建時代は身分の上下関係・隷属関係があり、今よりずっと強力な地縁、血縁関係があった。その時代、心の自由を得るためには、隷属関係から脱却し、地縁、血縁(その中には最も親密な夫婦・親子関係も含む)などの関係を一切合財捨てて、そんなしがらみの全くない天地へ旅立つ必要があった。封建時代にあってそんなことは不可能なように思われるが唯一それに道が開かれていたのが「巡礼の旅」であった。
ただし、しがらみを断ち切り、あるいはそれから逃れ、心が自由に飛翔する巡礼の旅に出たとしても、多くの巡礼は長期にわたろうともやがてまた故郷へ帰ろう思っていた。帰ればまたこころは縛られ捕えられ、自由が制限されるが、少なくとも巡礼している間はこころの自由が得られたのである。もっとも二度と帰らぬ覚悟で、旅に死ぬつもりならまったき自由が得られるが・・・。
「いいねぇ~、今に生きるオイラだけど、なんもかんも振り捨てて、こころの自由を求めて旅立ちたいなぁ~」
それでは次回、どんな形になるかわかりませんが巡礼の旅(?)に出てみましょう。
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