2019年5月18日土曜日

巡礼の旅 その2

20140715

 
 自在にいろいろな時代に行けるとして、苦難の道ほど巡礼する価値があると思うなら、中世の巡礼をお勧めします。各地に乱暴者の土豪が蟠踞し、巡礼できないことはないがその土地を通るたびに通行税を取られる。中世は権力が分散して治安維持力が弱いからいたることろに山賊、海賊がいる。橋はなく、道は細く、崩れたり、ぬかるんだりたいへんである。旅籠はない、屋根のあるところに泊まれればよいが野宿もしなければならない。野山にはまだ絶滅してないニホン狼が生息していて人を喰らう。
 
 そんなの嫌だ、もっと安楽に行きたいといえば、もちろん現代の巡礼がおすすめ、駅前に貼ってある巡礼ツアーポスターを見て申し込みましょう。一週間の期間でバスを使い添乗員付き、上げ膳据え膳でジェットバス付きホテル宿泊で四国八十八ヶ寺を周れます。先達(巡礼の格好をした添乗員)が世話を焼いてくれて何もしなくても巡礼ができます。
 
 それじゃあんまり楽すぎる!というならほどの良い江戸時代をお勧めします。幕府の力が強いから私的な通行税もいらないし、街道は整備されている。銭さえあれば旅籠にも泊まれる。治安も良い。しかし巡礼の旅はこの時代でもすべて自らの足で歩かねばならないから、けっこうな苦難の巡礼となる。その点、巡礼らしさも味わえる。
 
 ということで江戸時代の四国巡礼の旅に出発しましょう。出発地は明らかにしませんがまあ、本州のどこかということにしておきましょう。本州と四国は地続きではない。ということはどんなに頑張っても徒歩では行けないわけで船に乗らねばならない。そこで大坂の安治川あたりで船便をさがす。
 
 まず四国の阿波に渡らねばならないが、阿波徳島藩に入るためには巡礼(四国の場合は遍路という、以下巡礼を遍路と称する)と言えども通行手形、遍路手形がいる。これは大坂で船が出る近くにある阿波の御用商の店の手代が発行してくれるし、同時に船便の便宜も図ってくれる。船での移動は歩くのと違って遍路といえども金が要る。大坂から徳島まで銀で2匁だ。銭になおすと200~300文くらいだろうか。
 
 船は大きくても500石くらい(今で言ったら50トン~100トン未満)、ずいぶんと揺れたに違いない。船に慣れない巡礼などは上陸しても数日は船酔いで正常な活動ができなかったのではないかと思う。
 
 大坂を船出してやっと徳島が見えてきました。しかし陸に直接接岸できません。津田沖で停泊し、藩の役人から船の荷と人改めが行われます。当然遍路も手形をみせて上陸許可を願わねばなりません。まるで海外旅行の空港口のようにチェックされます。
 
 大きい船は新町川を遡れませんので、小さい船に乗り換えます。そしてそれに乗っていよいよ上陸となります。下がその様子を説明した当時の絵です。上陸地は今日の冨田あたりでしょうか(当時は海岸線がずっと内陸にあった)

 
 しかし寺町(図の左下にある)に上陸第一夜を過ごそうと思っている遍路は上図の地点で降りず、さらに内陸へ新町川をさかのぼり新町橋のたもとまで船を乗りつけます。
 
 今になおすとこのあたりでしょうか

 
 江戸時代、このあたりはどんな様子だったのでしょう?上陸直前、船の周りを見渡すと、目に入ったのは・・・・・・・
 
次回につづく

0 件のコメント: