先日の京都一人歩き旅、マイナーな観光地ばかりをめぐってきたのですが、その中でも今日ご紹介するところはマイナーというよりむしろネガチブと言ってもいいようなところです。その場所の名は『耳塚』。どんなところかというと
耳塚(みみづか)は、文禄・慶長の役の朝鮮、明兵の戦死者の耳、鼻を弔った塚である墓。
当時は戦功の証として、敵の高級将校は死体の首をとって検分したが、一揆(兵農分離前の農民軍)や足軽など身分の低いものは鼻(耳)でその数を証した。これをしないのを打捨という。また、運搬中に腐敗するのを防ぐために、塩漬、酒漬にして持ち帰ったとされる。
朝鮮の人からすると憎むべき場所ですよね。現在、京都は外国人観光客が多く訪れています。その中でも韓国から来る人は多いですから、こんな場所がおおっぴらに観光パンフに載ったら韓国の人はひどく感情を害しますよね。そういうわけでこの場所はマイナーというよりネガチブな観光地なのです。
そんなわけで在日朝鮮人からの抗議もあり、昔は観光地から外されていたんですけど今は有名観光地ではありませんが詳細な観光案内とかパンフレットには歴史的遺跡(観光)として記載されています。五輪の塔が上に立てられた塚をみてもわかるように先祖の(16世紀末)日本人は戦勝報告が済んだあとは亡くなった朝鮮の人の霊の供養として建てたんですね。もしそんな気持ちがなかったら耳だの鼻だのは取り捨て、供養塔なんか立てなかったでしょうからね。持ち帰った耳や鼻は戦没者として供養しその霊の災禍を防ぐのが古来よりの日本の慣習であり、丁重に供養されたのです。
川端通りを曲がり正面通りを東に行くとその耳塚がありました。想像していたより敷地は広く、五輪の建つ塚は小山くらいの大きさがありました。朝鮮の人にとって怨み深いこの場所、韓国人の参観者がいたらちょっとドキドキだなと思っていましたが、日本人も含め参観者は私一人でした。10分ほど撮影のためウロチョロしてましたがやはり一人でした。
横に説明板がありました。
拡大すると・・・下にはハングル文字が。
動画です。そこからすぐ近くの豊国神社へ向かいました。
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