2019年5月27日月曜日

京都の大仏さん その1

20150626

 歴史的に一番有名な「大仏さん」は奈良の大仏さんであろうか。その次は、やはり観光客に人気がある鎌倉の大仏さんであろう。奈良の大仏は8世紀の天平時代、鎌倉の大仏さんは13世紀に作られた。
 古都である奈良、鎌倉に由緒ある大仏があるのなら1200年以上の歴史のある古都京都はどうだろうか?
 「京都の大仏?知らんなぁ、京都は古いお寺がたくさんあるから当然仏像もたくさんある。しかし、京の大仏として特定できる大仏なんかないんじやないかなぁ」
 そのとおり、今、京都に「京の大仏」として特定できる大仏はありません。ただしそれは現存する大仏としてはないのであって、歴史的には「京の大仏」は存在しました。安土・桃山時代から江戸時代にかけて300年以上。
 そんなわけで京都に大仏があったことを知る人はほとんどいません。京都在住の人でさえ知らない人が多いのです。この京の大仏は現存すれば日本で一番大きな大仏、そして大仏殿でした。今年の3月に奈良の大仏殿と大仏を見て(以前見たことはありましたが)いまさらながらにその巨大さにおぶけましたが、その奈良の大仏よりまだ一回りも二回りも京の大仏・大仏殿は大きかったのです。
 最初にこの大仏を作った人は豊臣秀吉さんでした。天下の耳目を引く豪儀なことが好きだった秀吉はんは、京の都にも奈良東大寺の大仏殿にも負けないようなドデカい大仏・大仏殿を作ろうと思い立ったんでしょうね。
 東大寺より大きな大仏でしたが東大寺は銅製なのに対しこちらは本体は木製で表面は金漆塗でした。開眼式も奈良・天平時代に劣らず計画し実行するはずでしたが、開眼前に慶長・伏見大地震のため大仏は大仏殿ともブッ潰れてしまいました。(1596年9月5日)
 噂ではこの時、秀吉はんは激怒し
 「こらぁ~、国家鎮護、万民享楽の為に、お前を作ったのに、おマイは自分の身さえよ~守らんのか、このヘタレ大仏め」
 といって倒壊した大仏の頭をペシペシ叩いたといわれます。
 とまあ、これは噂ですから真偽は確かやおまへん、その後、秀吉はんの死後になりますが、大仏なしで大仏殿が完成します。なんや、本尊のおらん大仏殿て、すわりの悪い京の大仏ですな(そらそうや第一坐ってへんわ)
 それではいかんゆうんで、ここからも噂どすが、家康はんが秀吉はんの遺児の秀頼はんに今度は銅製で大きいのつくりなはれ、て強ぅ進めたらしゅうおます。口の悪いもんは、家康はん、信心深いふりして、秀頼はんに進めたんは、大阪城にある金銀財宝をこのとてつもない京の大仏に使わせて、蕩尽させ、豊臣の力を削ぐためやったゆうとります。今度の大仏は銅製で(表面は鍍金してます)奈良の大仏を凌ぐ大きさやったからどえらい出費を豊臣はんはしたんですなぁ。(完成は慶長17年・西暦1612年その3年後には豊臣は滅亡します)
 もしこの金銅製の大仏が現代まで残っていたら、奈良をも凌ぐ巨大大仏でこ有名になったに違いありませんが。このあとどうなったと思います?続きは次のブログでまた書きます。
 先日の京都一人歩き旅でこの跡地へ行ってきました。この京の大仏のあった辺りに今は豊国神社があります。大仏を作った秀吉はんがお祭りされています。
豊国神社の境内の様子です。
 この神社の裏に大仏殿跡があります(今は緑地になっています)


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