円仁はんの東シナ海横断がどうなったかすこし脇において当時の船がどのような力によって進んだかちょと力学的に考えてみたいと思います。
当時の船が進む力は何に基づいているかというと2つ以外はありません。風の力か人力です。風の場は帆、人力の場合は櫓櫂によって推進力を得ます。ではその遣唐使船を見てみましょう。
帆がありますから風力を利用していることがわかりますね。しかしこの帆、どうも帆布じゃないですね。莚または竹類の川で編んだ網代のようなもので図を見ると一枚の帆自体は硬くて風を孕んで膨らむということはなさそうです。また畳む場合も帆布の場合は折りたたみも簡単ですがこれは屏風を縦にしたように折畳むようになっていますね。
じゃあ、この船風に力(帆)だけで進んだんでしょうか?左の写真のこの部分(黄色で囲ってあるところ)を見てください。
拡大しますとこのようになっています。これはなんでしょうか。
船べりから突き出てテラスのようになっていますね。そしてその下には棒のようなものが束ねてつるしてあります。このテラス(露天の廊下のよう部分)の上に人がずらりと並んで立って下の棒をそれぞれが一本ずつ持ち、それを櫓櫂にしてみんなで調子を合わせて船を漕ぐのです。帆走だけでなく人力(櫓櫂)でも進むようになっています。
つまり遣唐使船は帆走と人力の櫓櫂両用の船だったわけです。というのもこのような形の帆では帆より後方から吹く風、いわゆる「順風」以外では帆の力は発揮できません。また風の力をとらえる効率もよくなく弱い風では進まず、逆に強い風だと帆の形を変えることもままならないので、強い風でも帆は利用できないことになります。結局、帆走できる方向、風の強さの選択がグンと狭くなります。そのため櫓櫂による推進が必要なわけです。
ところで私は帆走では風上の真正面には進めないと思っていました。
「そりゃあ、無理だろう、自然の理屈に反するような気がする!」
ところがヨットをやっている人から、そんなことはない風上の真正面に向かって進むことも出来ると聞きました。
「え?え?なんで?その理屈がわからん!」
で、わかりやすく解説している帆走の力学の本を読みました。必ず理解しなければならんのが帆の受ける力とその分解ベクトルです。これです。
わかりますか。風に対して帆をこのような角度に掲げると帆は『帆に対して垂直の力Rを受ける』、う!うぅぅぅ!そこからして難しゅてわからん!風が上から吹いてきてなんで帆に対して垂直(90°)の力を受けにゃならんのか?
そこで思い出したのが飛行機の翼が浮力を生じる原理。
前からの気流は二手(上下)に別れるが、上の方が曲率が大きいため気流が早くなるするっちゅうとベルヌイの法則で下より気圧が低くなる、当然下より押されて翼とは垂直方向つまり上方向の力が生じる。このように。 それを当てはめると、なるほど帆もそれと垂直な力が生じるのもわかるが、そう理解でええんじゃろか?ま、そういうことにして次のプロセスに行くと、帆の垂直力Rは力のベクトルによってTとNに分解される。うぅぅぅ!これも高校のときのスカン物理で『力の平行四辺形』たらなんたらで習ろ~た記憶が・・・・・
さあ、そこからもうちょっとで逆走にたどり着けますからあと少し考えませう。
このRを分解したTとNの力のベクトル、もし、Nの力を打ち消すことができて0に近くなれば、Tの力のみが残ります。そうするとNは船の舳先方向の力ですから図1で船は風に対してこのように動くようになります。
完全に風上ではなく風上に対しある角度を持って進むわけですが帆を操作してジグザグに進むと結果として風上に帆走だけで向かうことができます。
ところがこのような風上に帆走できる船にするには以上の事から二つの問題を解決せねばなりません。一つは船の進行に対する垂直抗力N(波の)がなければなりません。このためには船を輪切りにした時を見ると左のように竜骨があり海中に尖った船底を持たなければなりません。(横から押すときの抵抗が大きいこと)、しかし、わが遣唐使船は右のような平底船で横からの抗力Nは非常に小さいのです。
また二つ目、図1を見たらわかるように帆を風の方向に対し臨機応変に変えることが必要となります。このために理想的なのは帆布で出来た『三角帆』なんですが遣唐使船の帆は写真で見てわかるようにそうではありません。左が三角帆です。
だから遣唐使船は順風でしか帆走できないんですね。
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