前にモラエスさんの住居跡は訪れていたが、お墓へお参りするのは初めてだ。その場所もよく知らなかった。ロープウェイ乗り場にある観光案内所で聞くとこの横だという。潮音寺墓地がその墓のあるところである。
モラエスさんの住居があった所とその墓のある潮音寺の位置関係は下の図の通りである。
この潮音寺にはモラエスよりずっと先に亡くなったおヨネの墓がモラエスにより建立されていた。モラエスが徳島に移ったのは大正二年であるが、モラエスは一日に何度もこの間の道を往復し、墓参りをしている。地図で見ると老人の散歩には全く苦にならない近距離であるが、それにしても毎日、時には一日二度というのはちょっと多すぎる気もするが、心から愛したおヨネに対する追慕の念の特に強いモラエスさんだからそんなものかなぁ、と納得はする。
彼の書いた随想集(ポルトガルへの書簡の形を取っている)を読むと、愛する人の追慕に加え、この墓参りコースが特に気に入っていることがわかる。
一昨日、上記の地図のモラエス住居跡からモラエスさんの墓参りコースを歩いてみた。彼は眉山山麓の(地図で言うと最も左の端を通って潮音寺(おヨネの墓)に向かっている。このあたりは今でも神社や寺が多いが、それに伴う墓もある。昔はたくさんあった神社、祠、寺などは今は整理され当時より少なくなっており、墓地も整理され。住宅地になっている。しかし、今でも山裾には多くの墓がある。
モラエスさんは随想の中で「墓地めぐりが自然と楽しくなって、習慣化した。墓の列と列の間の狭い通路を行き交う墓参りの日本人たちと一緒にいると、私は心に安らぎを覚える。」といっている。彼はここに住居を移したときその周りのすざまじいばかりの墓の多さに驚いたそうだ。しかし彼はこう思う。「徳島は生者の密集した古い町なのだから、同様に死者の密集した古い町でなければならないわけだ。いたるところに墓があり、ここの人たちが死者のそばで自分の時間を多く過ごすことは当然である。」
それで彼自身も当時の徳島の人と一緒に、いやそれ以上に死者のそばで自分の時間を多く過ごすようになったわけだ。そのようにして生きている自分、そして死んだ者の魂の平安を願ったのだろうか
しかし、彼はこうも考える。それは彼・西洋人の持つ科学を信じた合理主義者の目なのかあるいは生成流転、すべては空だという仏教思想に影響を受けたものかはわからないが・・・
「徳島でも墓は永遠というわけではない。この世に永遠のものなどありはしない。大きな墓石に上から下まで亀裂が入り、花さしや水盤が半分に割れ、外れたりひびの入った墓をどれだけたくさん見てきたことか。・・・花崗岩を崩壊させ家族を離散させ、これらすべてを消滅せしめたのは歳月であった。」
モラエスさんが通った墓参りの道を可能な限り当時と同じく山際に沿って歩いてみた。当時の墓地は今住宅地にとり替わっているが、それでも山にへばりつくように古い墓地が残っている。しかし、モラエスさんが百年以上前に言った通り今も墓の消滅は続いている。
墓地を崩し、住宅地造成をしているところ
更地にするため無縁になった墓石を積み上げてある。
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