現代日本人の認識においてポルトガルへの注目度はそう高くない。欧州にはたくさんの国があるがやはり注目度の高い国はイギリス、フランス、ドイツであろうか。英仏独に比べると小国だがギリシアなども古い歴史や文化などで注目度が高い。それに比べるとポルトガルは、人口約一千万人、一人あたりのGDPは1,9800ドル(世界ランク39位)、ちなみに日本は3,8900ドルあまり(22位)である。台湾、韓国が2万ドル台だからそれより低いことになる。
昔のように大国とか小国とかの範疇で分けたくないが、人口、生み出す富などの規模から言えば小国である。来月に開かれるG20の二十ヶ国の中にも入っていない。
モラエスさんが生まれたのは19世紀の中ごろ(54年)だったが、そのころから欧州の中では小国であった。しかし、ポルトガルが世界史の中で燦然と輝いた時代があった、冒険者たちが海外に雄飛し、海外から富をもたらし、多くの植民地をもち、もしかしたら世界帝国が建設できるかもしれない、という絶頂期があった。それはあっという間に過ぎ去ってしまったが。
15世紀末から16世紀の中ごろにかけてである。
世界地図を見てよく五大陸という。(欧州、アフリカ大陸、アジア、北米大陸、南米大陸)、南極、オーストラリアは大陸には入れない。大航海時代、この五大陸に最初に先鞭をつけたのはポルトガル人であった。(コロンブスはイタリー人と言われているが実はポルトガル人であったという説も有力でこの説をとる)、北米はコロンブス、南米は、カブラル(ポルトガル人)、そしてインド航路の発見はバスコダガマ(ポルトガル人でアジア航路発見)、それどころか、ワイらの国日本に初めて来航したのも、ポルトガル人である(種子島漂着1543年、この時火縄銃も伝えられたので有名)。
つまりこの時期、地球的規模で活躍したのがポルトガル人であった。それとともに海外に多くの拠点を築き、植民地の広げていった。同じころやはり海外進出し始めたスペインと二国間で勝手に、まるでリンゴを真っ二つにするように地球を二分して分けあおう、などという傲慢な取り決めもしたくらい、世界進出そして収奪、植民地化は盛んであった。
この時のポルトガルとスペインの世界に分割案(教皇に認めてもらったというのがミソ、カトリックの布教は、富の勝手な収奪、植民地化をともなっていた)
これで見ると日本なんどは、西日本はポルトガル領、東日本はスペイン領になるではないか!まったく!ヨーロッパ人の傲慢さの極致みたいな条約やな。
しかし意気軒昂だったのは16世紀の中ごろまで、その後は隣国スペインに圧迫され(一時は併合)、また他のヨーロッパの大国・フランス・イギリス・オランダなどの海外進出が盛んになるにつれ、ポルトガルはその後、20世紀まで衰退の一途をたどる。
とはいえ、もっとも古いヨーロッパの植民地宗主国として、20世紀になっても世界全土のあちらこちらに植民地あるいは元植民地でポルトガルを宗主国として仰ぐ国(当然、言語、文化はポルトガルである)を持っている。
20世紀第一次世界大戦直前の地図を見てみると、
大きなところではブラジル(ポルトガルが宗主国となる)、アフリカのアンゴラ、モザンビーク、小さい植民地としてはインドのゴア、インドネシア東部のティモール、中国のマカオなど、衰えたりと言えど世界の広い地域にチョコチョコとある。
モラエスさんがポルトガルで海軍士官になった19世紀後半もほぼ同じ勢力図である。そのためモラエスさんはアフリカや中国のマカオなどで勤務をしている。そして外交官として日本にやってくるのである。
モラエスさん自身も自虐的に我が国は今は弱小国であるといっているが、彼は、世界に先駆けて未知の世界へと勇敢に挑んでいったポルトガルの冒険魂に誇りを持ち続けていた。
ポルトガルの世界帝国の夢は挫折する、その後スペイン、オランダやフランスに引き継がれるが19世紀にほぼ世界帝国を完成させたのはイギリスであった。
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