中書島で降りて、見たかったのは江戸時代の三十石舟の発船場の跡でした。もしかすると発船場の跡が残っているどころか、当時の運河も埋め立ててあるかもしれないと少し心配しながら見に行ったわけですが、運河もこうしてあり、
また、発船場も当時とよく似たものが再現されていました。
江戸時代のこのあたり「京橋付近」の絵図を見てみると
こんな様子だったんですね。その京橋は今はこのようになっています。
橋の手前にこのような史跡の碑がありました。
横の説明板を拡大してみました。
いわゆる戊辰戦争の最初の火蓋がこのあたりで切られたんですね。
そしてそこから50mも離れていないところに江戸時代からやっている寺田屋があります。
ここも幕末、寺田屋騒動で有名なところです。下は寺田屋の前にあった立て札です。
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