首都圏ではかなり郊外の小都市であっても徳島市と匹敵する規模をもっていることに驚く。これも実際行ってみて歩けば実感できる。この日は朝、新宿を小田急で出発し、一番に降りた駅が藤沢市であった。駅前のにぎやかな広場、客でにぎわう店舗、多くの通行人を見て、『これは徳島駅前より繁盛しているではないか」藤沢といえば東京・神奈川の中では小都市の部類に入る、それでも徳島市と比べるとはるかに賑わっているし、街を歩いている人も多い。また若者が徳島と比べると圧倒的に多いのですれ違う人々にも活気を感じる。
二年前、江ノ島へ観光に来たとき藤沢で一夜過ごしたが、このときは藤沢の街は観光しなかった。暗くなって駅で降りたのでどこにも行けなかったのである。前から藤沢に来たならぜひ一遍さんが開いた時宗の総本山の遊行寺に行ってみたいと思っていたが、翌日も時間がなくて果たせなかった。
それで今回は降りるとすぐ遊行寺に向かった。あらかじめググルマップなどで道順なども調べてあった。しかし実際歩いてみての道は想像していたよりずっとわかりやすく、さほど時間もかからず、およそ10分くらいでついた。考えてみるとこの遊行寺は時宗の大本山であるから駅から向かう道は『参道』となる。なるほど!わかりやすく、かつ歩きやすいはずである。
寺が近づいてくるとまず、川を渡る。
遊行寺橋を渡ると遊行寺の山門が見えてくる。
遊行寺の正式名は清浄光寺(しょうじょうこうじ)という。山門を入る。
そして本堂
境内には一遍さんの銅像もある。細身で長い顔、前かがみの姿は一遍上人絵伝の一遍さんと同じだ。
宗祖一遍さんが藤沢で留まって何をしたかは定かではないが(ここが総本山になったのは一遍さんより後の後継者の活動による)すぐ近くの鎌倉と江の島の片瀬浜で一遍さんは重要な宗教上の活動をしている。
鎌倉に入り宗教活動をしようとするが、幕府によって制止され、鎌倉を立ち退くことになる。下は鎌倉入りを幕府の御家人によって制止される一遍一行、馬上の人は執権時宗と言われている。(一遍上人絵伝より)
鎌倉入りを果たせなかった一遍一行は江の島近くの片瀬浜で念仏踊りをする。
次に江戸時代の藤沢を見てみよう。まず宿場町藤沢の鳥瞰図。
そして東海道五十三次(広重)より。この鳥居はお寺である遊行寺とは関係ない。江の島弁天社の一の鳥居である。長い参道の始めに立っているのでここ藤沢にある(ここから江の島へ分岐する)そして山の方に石段を上がった建物があるがそれが遊行寺である。
そうそう、この遊行寺の敷地にある墓地に「板割の浅太郎」という人の墓がありました。知ってますか?知らんやろなぁ。国定忠治の子分です。忠治の映画や赤城山の忠治の浪曲を知っている人はわかりますやろが、そんな人はもう85歳以上の人だと思います。
下がその墓と説明板です。
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