2019年5月29日水曜日

モラエスさんのいた頃の盆踊り

20170814

 モラエスさんのいたころはまだ「阿波踊り」という一般的な言葉はなった。この「阿波踊り」が言葉として定着したのは昭和初期であるとされている。この頃は単なる『盆踊り』(阿波の人はなまってボニ踊り)といった。他の地方の盆踊りと区別するためモラエスさんは「徳島の盆踊り」と言っている。

 モラエスは次のように書いている。

 『民衆は伝染性の熱狂的ヒステリー症に罹ります、するともはや盆踊り以外のことは口にしません。繁華街は群衆で埋まります。ときどき鉦や太鼓の騒々しい群れがどこかの小路から現れて、口々に大声で唄いながら、大勢混み合っている群れをかき分けて踊って行きます。高く掲げた提灯が人影、男も女も子供も、三味線をかきならすもの、唄を歌うもの、細かいいろんな身振りをするものを、幻想的に照らし出します。
 中でも最も目につくのが芸者であって、美しい絹の着物を優美に着こなしていて、その顔を昔、鳥追いが使った広い笠で半ば隠しているのです。しかし、踊っているのは芸者ばかりでなく、ほとんどすべての市民が踊っているのです。じいさんやばあさんから、か弱い子供に至るまで生者のみんなが楽しむのです。死者を讃えて。』

 モラエスが見たであろう、大正時代の徳島の盆踊りの写真を集めてみました。

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