2019年5月29日水曜日

ケケス原

20170813

 モラエスさんいた頃の徳島の雰囲気は、ここ徳島に住んでいるからと言って味わえるわけではない。なにせ100年も昔の徳島である。自然どころか、建物や他の建造物もほとんど残っていない。昔の白黒写真を見てもその雰囲気は味わえるモノではない。

 そんな中にあって、大昔の徳島の情緒のある絵を描いている飯原一夫さんがいる。不思議なことにその絵からは、大昔の徳島の雰囲気(視覚どころか聴覚、嗅覚、味覚まで)がまるでタイムスリップしたようによみがえってくる。そんな彼の絵の中で、私が一番好きなのはケケス原を描いたものである。ケケスとはヨシキリという鳥である。鳴き声が「ケケス ケケス カイカイシ」というように聞こえるところから、阿波の方言であろうヨシキリを「ケケス」という。山本周五郎の「青べか物語」のなかでは「ケケチ」と言っているがこれは浦安のあたりの方言であろう。

 そのケケス(ヨシキリ)は数本のヨシを束ねてお椀型の巣をつくり、ヨシ原を縄張りとするところから、ヨシ原のことをわが徳島では「ケケス原」といった。夏鳥で、ボニの今日、そのヨシ原に入ったらヨシキリらしい鳴き声が聞こえたがうまく録音はできなかった。

 ケケス原にある地蔵(これは南斎田であろう)の前を手をつないだ母子が通る。

 ケケス原(これは住吉島にあったケケス原)、幼い子が一人ケケス原で泣いている。どんな悲しいことがあったのだろう。泣かないで!というように白い子犬が少女を見守る。


 今、この絵に描かれた、南斎田浦(南昭和町7丁目)や住吉島(現在の住吉5丁目)は密集した住宅地になっている。モラエスさんのいた100年前はこの絵のような場所であったとは想像もつかない。現在、ケケス原が残っているのは、吉野川河口付近である。大堤防の内側になる。そのケケス原を求めて吉野川河口付近に行った。

 ヨシの群生地に入る。ケケス原とはこんなところだったのだろう。



 ヨシの群生地の動画

0 件のコメント: