2019年5月19日日曜日

巡礼の旅 その5 持明院からあるく

20140731

 今はないけれども、江戸時代の持明院は真言宗の大寺院であった。眉山の麓、春日神社の横に位置する。左は江戸時代の持明院の境内、右は現在、持明院あとに滝薬師がある。











そこで泊まるのだが、寺の僧侶より、八十八カ寺を巡礼するなら、吉野川北岸にある1~10番までの寺は後回しにして名東・麻植・名西郡にある寺々からまわった方が良いと教えられ、そのような巡礼の仕方をする決意をする。
 早朝、出発する。まずは井戸寺を目指す。持明院前を出て歩くとすぐ佐古川に出る。その佐古川と眉山の麓の間を行くと諏訪神社に出る。ここらあたりまでが江戸時代の徳島の街の範囲だ。
 今はその道は旧道・問屋街となっている。まっすぐ歩くと諏訪神社に出る。


 この道の左を佐古川が流れている。

 諏訪神社のあたりは江戸時代は芝居、興行が行われる遊楽の地であった。寺社のあたりにそんなものおかしかろうと、思われるが、この時代、それは普通のことであった。江戸でも芝居町は浅草寺のすぐそばだし遊郭の吉原も近い、城下町のはずれということもありここ徳島でも神社の境内で期限を切って様々な興行が行われたのである。
 今、諏訪神社の前はこんな感じで淋しい限りだが・・
 昔はずいぶん賑わう土地であったことを示す証拠がある。神社の石段の横にある『迷子石』だ。大勢の人出の混雑混乱で小さい子が迷子になった場合、ここに連れてくる。それくらい昔は繁華街であったということであろう。
 江戸時代の諏訪神社前では、この巡礼が通ったときはちょうど境内で人形浄瑠璃の興行が行われていて、たくさんの見物人でごった返していた。
 
 巡礼も足を止めて人形浄瑠璃の劇場に入る。劇場といってもムシロで囲った粗末なもので、終われば取り片づけられるものであった。今のサーカスのテントのようなものか。札銭(入場料)はおそらく二十数文。境内には様々な見世物があるが、現代までその興行の様子が当時と変わらないのは人形浄瑠璃くらいであろう。他は絶滅したか、歌舞伎なども現代風にずいぶんアレンジされている。
 つづく

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