道頓堀で歌舞伎を見て楽しんだジーボルトはん。娯楽的な見学だけでなく大坂ではある重要な産業施設を見学しています。え?日本のそれも大坂にヨーロッパ人が見学できるような産業施設なんてあったかしら?江戸日本なんて産業後進国でしょ!江戸日本は近世のヨーロッパに比べると産業面でずいぶん遅れている印象がありますが、そんなことはごわへん!ヨーロッパ特にイギリスですね、このイギリスが産業で先進国となって日本を見下せるのはう~~んと遡っても19世紀の初期、まあ、イギリスの顔を立ててうんと大甘に見てもせいぜい18世紀の末期からなんです。
イギリスが産業面で日本より図抜けたのは皆さんも知っている『産業革命』によるものなのです。これにより確かにイギリスは近代産業国家となり、その意味で日本は見下されますが、そうなったのは産業革命以降、江戸時代でいえば文化文政(1800~1820年代)以降、それまでは農林水産、鉱工業、繊維被服、醸造業等々、決して劣ったものではなかったのです。
文化文政頃になってもヨーロッパを見ると産業革命が軌道にのって大発展したのはイギリス、そして後につづくのはフランス、アメリカ、この2国はまだまだ大したことやありまへん。ジーボルトはんの故郷のドイツなんかはづづづ~~~と後進国(産業革命に関してはですよ)。だからジーボルトはんが大坂で産業施設を見ますが、彼は日本のその産業を劣ったものとして見たのではなく、よ~でけとるなぁ~、と、ずいぶん感心して見ただろうと思います。
さてその産業とは何か、それは銅精錬業でした。よく日本のことをアチャラのヨーロッパ人は「黄金の国ジパング」とかいいますが、江戸・特に中期以降は、ヨーロッパ向け(もちろんオランダを通してだが)の金属は金や銀ではなく精錬された「銅」が中心だったのです。
ジーボルトは道頓堀で芝居を見た前日、文政9年5月6日(1826年、6月11日)に大坂銅製錬所を見学しています。まず当時の大坂の地図で位置を確認しておきましょう。黄色い丸がその場所です。当時の地図はお城のある東が上になっています。だから下が西、右は南で左が北となります。
拡大すると
銅精錬は鉱石や木炭(当時は石炭は使わない)などの嵩張る資源を運ばねばなりません。当然、運河による舟便です。地図の位置を見ますとこの場所は東横堀川と長堀川の二本がの運河が交差したところにあります。舟便で運ぶにはもっとも都合の良い位置ですね。
この場所、今はどないなっとんかいなぁ~と、このあいだ大阪に行ったときに見て写真動画に記録してきました。下がその現在の二本の運河の運河じゃなかった今の運命です。
そしてその場所は現在はこのような公園になっています。
動画です。
そこでジーボルトはんはどのようなおもてなしを受けたんでしょうか、ブログが長くなるので次回ということで
次のブログにつづくあ
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