2019年5月27日月曜日

北方探検記 その5 なして清も露もこんな極寒の辺境を欲するのか

20150801

 リンちゃんが北方探検に出かけるのはまだ先です。こうも毎日毎日酷暑が続くと冷涼な北方のことを想像したりブログを書いたりするだけでも、すぅしぃなったような気がするのでしばらくだらだら冗長な前置きブログが続きます。
 
 さて、清にしてもロシアにしてもなぜ酷寒のこの地を支配しようとしたのでしょうか。今でこそ東部シベリアあたりは鉱物資源や森林資源の宝庫ですが17世紀ころはまだそんなものは利用できるとも思っていませんし、第一鉱物資源・石油・ガスなどは発見もされていなかったでしょう。人口もまばらで農業もほとんどできません。土地に租税をかけるのは無理でしょう。そんな土地でしたが、ここには宝石のように人の欲望をかきたてるあるものが存在しました。それは毛皮獣でした。宝石・毛皮といえば贅沢なお宝ですものね。
 
 最上級の毛皮としては黒貂(クロテン)があります。毛皮名はセーブルとしても知られています。下の写真がそうです。
 
 
 クロテンといいながら毛色は灰色から黒褐色です。可愛い顔をした動物ですがこれから最高級の毛皮が取れるため換金商品として捕獲され毛皮にされました。中世以前は欧州やロシア西部にもたくさんいたのですがゼニになるということで乱獲され個体数が激減しました。そこでロシアは自然状態が残り数多くの毛皮獣が生息するユーラシア東部に目をつけ、東へと勢力を伸ばします。
 
 他にも価値のある毛皮獣としてキツネ、カワウソ、ラッコなどがあります。こんなかわいいものをぶち殺して皮を剥いで数百匹でコートを作るなんて、人は全く残酷な生き物ですね。
 
 ポルトガルやスペインは香辛料・金銀を求めてアメリカや東インドに進出・征服しましたがロシアの場合はそれが毛皮獣で進出・征服したのはシベリアでした。ロシアはとれた毛皮を高額商品として欧州に輸出しておおいに銭を稼いでいました。16,7世紀の欧州の国々は重商主義政策をとっていましたが、ロシアにとって毛皮はその重商主義政策の要の商品だったのです。
 
 中国はシベリア南部の辺境民を辺土政策の一環として組織し、一定量の毛皮の貢納を義務付けていましたが、毛皮の需要は国内のそれも上流階級のみであったため、その辺境民の貢納だけで賄えました。ロシアのように貪欲に毛皮を求めて新しい土地へ進出することに積極的ではありませんでした。
 
 前回のブログで清、ロシアの勢力のぶつかり合いはネルチンスク条約によって一応の解決を見たと言いましたが、毛皮獣を求めてのロシアの進出は止むことありません。条約によって南への進出は諦めますが、そのかわりにロシアはさらに東へと進みます。東はユーラシア大陸が尽きますが、それを乗り越えて、オホーツク海、アリューシャン列島、そしてベーリング海を渡りアメリカ(アラスカ)へ、そのまま西海岸を南下しカリフォルニアあたりまで進出します。最大の動機は毛皮獣獲得の為です。
 
 このあたりは日本の北辺域とも重なります。日本のこのあたりの状況は次回ブログで
 
 つづく
 
 

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