2019年5月27日月曜日

北方探検記 その11 いよいよリンちゃん登場

20150813

 前回までのブログで大きな破壊をもたらす軍艦や大砲を持ったロシャが日本に迫った来くるところまで話しましたね。迫るっちゅうても、いろいろな迫り方もあるもので、強引にロシャを男、日本を女として例えると、『強姦』してでもモノにしてやろ、っちゅうのが武力による開国。力を見せつけつつも何とか話し合いで開国させるのが『和姦』、とでも言えるでしょう。
 
 ロシャの態度はそのどちらも辞せず。というものでした。なにせ長崎では「和姦やろ~~~よぅ、ぇぇだろ、」という態度を見せながら、「ダメよダメダメ」と断られると国後、樺太あたりでは「強姦ぶちかますんじゃ」といって暴れます。まあ、こちらは幸いにも秘所にはぶち込まれず、手足の擦り傷くらいですんで、ロシャが「いや~、あれは酒に酔ぉとって、ワイの本意じゃなかったんや」、と示談が成立してなんとか治まりましたが、こんな北方の大男が隙をうかがって迫るのでこちらもうかうかしておられません。
 
 特にロシャの南下の最前線にある国後、択捉、樺太あたりは日本の活動範囲でありましたから、日本としてはそのあたりを領土として確定すべく陣屋を設けたり、砲台を築いたりして海岸警備に力を入れます。それまではこのあたりは蝦夷地松前に本拠を置く『松前藩』の管轄でしたが、こんな弱小藩には任せておけんちゅうことで寛政11年(1799)にはまず東半分の蝦夷地を幕府直轄とします。そして8年後の文化4年には蝦夷地全土が幕府直轄となります。役所としては函館奉行所、松前奉行所が置かれ、幕府天領のように勘定所系の役人が派遣されます。しかし、辺境の警備が重要ということで東北諸藩(南部、松前など)の藩士にも出動命令が出され、駐留するようになります。
 
 このころリンちゃんが世に出てきます。リンちゃんは武士の生まれではありませんでした。水呑み百姓ではなかったでしょうが農民出身には間違いありません。もっとも戦国時代は後北条の家臣だったそうですが、「ワイんくの家は今でこそ百姓しとるが元は歴とした武士だったんぞ」ちゅう、ホンマかウソかわからん自慢話はどこの家にもありますから、豪農や本百姓にはそういう先祖の言伝えを持つ人が多くいました。
 
 リンちゃんは賢かったんでしょうな。土を耕す仕事より、算術や測量に能力を発揮し、幕府直轄の土木事業に加わり、認められていつの間にやら幕府の役人(もちろん下っ端だが)となります。そして北方探検に関わってくるのは寛政11年からの南千島の派遣からでした。このあと伊能忠敬と出会い測量術などに教えを受け、西蝦夷地を測量しています。
 
 ここでちょっと疑問?江戸時代、村方役人(庄屋、名主、百姓代)、肝煎り)なんどは確かに農民の身分でなれましたわなぁ、しかし役人といっても村方とついているように村の自治会の代表みたいなもの役人というにはちょっと・・・ リンちゃんは村方役人ではなく下っ端とはいえ幕府お役人、格が違います。こんなこと許されるのでしょうか。
 
 幕府もこの時代になると役人の登用にガチガチの家筋重視は崩れてきます。実力重視が入ってきます。もちろん身分の制約はありますが、そこは養子にして、武士身分と見做して登用するといういろいろな抜け技が出てきます。特に幕府の勘定系のお役人(上層役人ではなく実務を担当する中堅より下の役人)は理数に明るい人でなければ困るので特にその制約はゆるくしなければならないわけがあったのです。
 
 幕府の役人といっても上は旗本格(将軍にお目見えできる)の職から御家人格の職までありましたがリンちゃんが着いたのはホントに下っ端、一応御家人の分類でしょうが、御家人にも先祖代々その職を世襲できる「譜代」とその者一代限りの任命の「お抱え」がありました。もちろん譜代が上でお抱えが下でこれが下っ端になるのです。名称は『同心』というのが多かったですね。時代劇に出てくる町奉行所の下っ端役人、同心が出てくるからなじみのある名前ですね。
 
 文化五年、蝦夷地にあったリンちゃんの役の名前は『お雇い同心格』です。同心に格がついてるが、これどうなのよ?実は格がついたら同心よりまだ下。まあ『準』みたいなもの。ホントにリンちゃん下っ端だったんですね。でも格がついても幕府の直参です、蝦夷地には先にも言ったように南部、津軽藩の武士もいましたがこれらは幕府直参ではなく陪臣扱いですから、リンちゃんは蝦夷地ではけっこう大きな顔ができたんじゃないでしょうか。
 
 この年初め、リンちゃんは樺太の奥地検分の命を受けます。彼一人ではなく宗谷の地にあった松田伝十郎と同行して樺太に渡るよう合わせて命じられます。松前から『図合い船』に乗って3月12日宗谷に着きました。
 
 つづく

0 件のコメント: