2019年5月27日月曜日

京都の旅ブログの最後 文字で呪うぼ~んしょ

20150701

 先日の今日と一人歩き旅のブログつくりもそろそろ飽きてきましたので、そのテーマでのブログは今回で一区切りといたします。

 で、今日は方広寺の梵鐘についてです。下の方広寺の境内を見てもらったらわかりますが方広寺の狭さに比べて梵鐘の大きさは際立っています。方広寺は火災などで焼失後、何回か建て替えを経てだんだん小さくなってきましたが、梵鐘は青銅製の為か創建当時の鐘がそのまま残っています。

 
 この梵鐘には銘文が入っています。豊臣秀頼がこの梵鐘を寄進するときに入れたものですが、これに徳川家康がいちゃもんをつけて大坂夏の陣のきっかけとなります。


 大きな梵鐘でどこにその問題となった銘文があるのかとぐるりと回りますと・・・・・・


 ありました。これです。誰が付けたのかその部分に印が入れてあります。


 拡大すると読めました。


 『君臣豊楽 国家安康』という部分が銘文に入っています。これを徳川方は徳川家康の諱(いみな)「家康」の二字を別々に分けて○家○康としたのは、諱を切断し、家康を呪うものだ、というふうに解釈して豊臣方に難癖をつけたのです。そんなことを言えば前の四字の「君臣豊楽」は豊臣がひっくり返っているので、豊臣の自分も呪うものと解釈も出来ましょうが、徳川はそれは、家康の文字を引きちぎり家康が滅びれば君臣みんなが豊かで楽になると読んだのです。こじつけもいいところですが、こういうやり方は中国にお手本があります。

 中国では古くから皇帝が臣下を粛清をするときに用いられた手です。罪なくして罰するわけですから何らかの罪をでっちあげねばなりません。そこで編み出された粛清の手段の一つが『文字の獄』といわれるものです。粛清しようとする人の書いた文章の中から皇帝や国家を呪う(と解釈されそうな)部分を無理に見つけ出して罰するのです。その人がたくさんの文章を書いていればいるほど無理にこじつけてそういう部分を探し出せます。

 (てにをわ)の助詞や助動詞が漢字にくっついている和文(日本語の漢字かな交じり文)はあまり無茶苦茶な読み方はできませんが、そんなのが無くただ漢字の意味とその配列だけで文が構成される漢文は幾多の読みができます(上の梵鐘の銘文はもちろん格調高い漢文です)。

 そうはいってもかなり無茶な言いがかりだったようで、これのみではさすが豊臣方との開戦の理由にはなりません。でも開戦に向けての嫌がらせの一つとしては効果がありました。豊臣方はかなりうろたえますからね。もちろん老獪な家康はうろたえに付け込んで更なる難題を押し付け開戦に導きます。

 ま、この梵鐘の銘はそのきっかけになったものですね。

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