2019年5月20日月曜日

巡礼の旅 その10 鮎喰川をわたって峠へ

2014901

 姪の結婚式や大阪の街歩きのブログのため中断しましたが、再び江戸期の巡礼の旅をはじめます。
 回を重ね、その10になっておりますが、これ、全部一日の出来事なんです。眉山のふもとを出発して井戸寺、観音寺、国分寺、常楽寺、大日寺(一宮)と参詣してまいりましたが、大日寺の参詣を終わってもまだ日は高く、未の刻(現在の午後2時)を過ぎた頃、がんばってさらに進む。
 今日の予定ではこれから向かう先は、麻植郡の藤井寺である。今日一日の中ではもっともキツイ遍路道となる。峠を越えねばならないし、歩く距離もそうとうある。江戸期に歩いた遍路の日記を見てみよう。
 『・・・本来ル道ヘ帰テ、件ノ川ヲ渡テ野坂ヲ上ル事廿余町、峠ニ至テ見バ阿波一国ヲ一目ニ見ル所也、爰ニテ休息シテ、又坂ヲ下リテ村里ノ中道ヲ経テ・・・』
 大日寺へやってきた道を少し返って、鮎喰川を渡り、野坂を上がること2キロ以上で峠に至るとある。そうするとこの峠とはどこの峠だろうか。現在、大日寺から峠を越えて麻植郡に向かうのなら徳島市の入田のさらに奥、名西郡広野に入り、童学寺峠(今はバイパスでトンネルとなっているが)をこえるのが一般的である。しかしこのコースだと川を渡って2キロあまりということはない。それ以上歩かねばならない。もっと近い峠があるはずである。
 そこでグーグルの地図を見てみよう。

 右下隅の大日寺からもっとも近い峠は左上隅にある地蔵峠である。これだと遍路の日記の記述に最も合っているからおそらくこの峠であろうと思われる。現在、昔のお遍路さんの歩いた道の多くは今は「四国の道」として歩道が整備されているが、このコースは遍路コースでは脇道に近いためその「四国の道」はない。それどころが昭和の初めころまであった人一人が歩けるほどの地蔵峠へ行く山道もご覧のように私有地の月の宮ゴルフ場が塞いでいて、細い山道の旧遍路道も廃れてしまった。
 上の地図の青い線が現在の道である。ググルのストリートビューで行き止まりまで行ってみた。まず地図の①の行き止まり。
 作業小屋の横で道は見事に行き止まり、見たところそれ以上行ける道もない。それでは②はどうだろう。
 徳島カントリー倶楽部のゲートがあるところで道は終わる。私有地なので当然入れない。
 ということで江戸期の遍路・澄禅はんが回った大日寺~地蔵峠までの道は現在は行くことができません。しかし、この地蔵峠は現在石井町の方からのみは行くことができます。先日行ってきましたのでその峠の様子をご覧ください。


  上の動画を見ていただくと地蔵様がいますね。澄禅はんもこの地蔵を見ながらこの峠で一服したんでしょうね。今はほとんど行く人のないこの峠ですが、江戸時代は鮎喰川沿いの入田村や広野村から名西郡や麻植郡に来るのは最も近く、また峠といっても四国山地の中では標高も低い鞍部にあるため人々の行き来も多かっただろうと思われます。往来の多い峠ですから「峠の茶屋」があったかもしれません。もしかすると澄禅はんは茶屋で茶を喫しながら峠からの眺めを楽しんだのかもしれません。
 長い一日の旅はまだ続きます。
 『又坂ヲ下リテ・・・』とありますが続きは次回ブログで

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