2012年5月8日火曜日

ジョージ君と勉強するよい子の作文 文章の書きだし


 小中学生の時、授業で作文というのがあった。先生がある主題を(学校行事だったり、家族、本の感想文、将来の夢とか)黒板に書いて、さあ、原稿用紙何枚以上書きなさい。と言う。私はこの作文の授業が大嫌いだった。
 今から思えばこの先生も作文の指導法を知らなかったのだろう。主題を決めて書く作文の場合、書く作法というか、型があるはずだが、そんなこと一切教えず、主題を押し付けているくせに、自由に書きなさい!要するに放任で、ただ決められた枚数以上は否応なしに書かせるという、ひどい授業だったように思う。

 ワイらの時代、小中学校では先生が叱るのに体罰を伴うのは当たり前、別にイタズラをしなくても、宿題をやってこなかったり、時には問題がうまく解けない、といって体罰をする先生もいた。今から思うとずいぶんひどい時代と思うがその当時は当たり前、それが普通と思っていた。だから何とか体罰を含む罰を受けないようにすることが勉強と思っていた。

 だから、こわ~~~い先生が

 「はい、原稿用紙3枚以上」

 といわれれば、なんとしても3枚は原稿用紙を文字で埋めねばならない。クラスの中の勉強のよくできる女の子なんかは、先生が主題を黒板に書くとすぐにサラサラと書き始める子もいたが、私も含め男のガキどもは、出だしから頭を抱えてしまう。
 作文で一番の難関は最初の出だしをどうするかである。これが決まれば、論理なんか無視してだらだら書くこともできる。しかし、その最初の文が浮かんでこないのだ。
 そのためみんな最初の文字を一つも書くことができず、長時間頭を抱えることになる。

 この書き出しに何を持ってこようと悩むのは小中学生のみではない。大人になっても文章や手紙を書くとき、最初をどうするか、なかなか浮かんでこず、時間をかけてかんがえる場合が多い。これは文章を飯のタネにしているコラムニストも同じであるらしい。聞くと、やはり最初の出だしをどうするか、一番エネルギーを使うそうである。

 原稿用紙2~3枚くらいの長さの文章だと、もう書きだした時は今後どうゆう展開をして、締めくくりはどうしようか見通しを持って書き始めるものである。だから書き出しの数行が書ければ、文は半分以上出来たようなものである。
 最初どのようなものを書きだしに持ってくるか、その選択あるいは創作に苦労するが、それさえ乗り越えればそのあとは楽になる。

 さて、ここで一般的に上手といわれる文章の出だしを見てみたいと思う。いくつか比較してみてみたいが、それにふさわしいちょうどよい文章を今日、新聞でいくつか見つけた。
 原稿用紙2~3枚程度の文章、紙面の第一面を飾っている『コラム』である。全国紙4紙(Y紙、A紙、M紙、S紙)それと我が郷土のT紙の5紙である。
 比較するのに都合の良いことに今日の5紙ともコラムの主題が一致しているのである。昨日は新聞休刊日であったがその日、大きなニュースがあった。「竜巻の大きな被害である」 5紙ともその竜巻について書いたコラムである。
 各紙、どのような書きだしを持ってきているか具体的に見て見よう。

 まずY紙
 なぞなぞから入っている。なぞなぞだから最初はほとんどの人が意味不明である。読む人は最初はいったいなんお話しだろう、でもなぞなぞだから、ちょっと考える。・・・わからない。しかし読み進むと謎解きが行われ、龍が天空に登る光景が読む者の頭にに浮かぶようになっている。
 なぞなぞを持ってきて興味を引き付けるあたり、やはりプロの書き手だなぁと感心する。

 次はA紙
 ひねりのない素直な体験から入っている。おそらく当日、東日本の多くの人が経験しただろう天気の急激な現象を持ってきている。多くの人の共通認識、それも天気の話しから入ることは自然で無理のない無難な書き出しである。読む方も素直にそのまますらすら読めていく文章である。
 この書き出しで結論はどうなるだろうと読み進んで行くと、「人は・・・弱い生き物に返る。」なんかしめくくりがパッとしない気がするが・・・

 次はM紙
 私も安易によく使う手だが(・・といってもこのコラムの作者が安易というのではありませんよ、そんな失礼なことは言いません)、格調高い文章を書くとき、その主題に関連したみんなによく知られた古典文学の内容を引用しつつ、自分の述べたい主題に持っていくのはいい方法である。
 前にブログでも取り上げたが(ここクリック)、大災害についての文章を書くときよく使われたのが鴨長明の「方丈記」である。大地震、火事、暴風、その他の災害についての随筆である。
 なにせ、古典を引用するだけで文の質が高まるような気がして、私などはたびたび使う。
 やはりこのコラムもそうである。打ち立てからいきなり中世年号の「治承の辻風」云々である。これが今大河ドラマでやってる平家政権の時代とわかる人はかなりな歴史オタクである。普通はわからない、なんのこっちゃ?読むとすぐ「方丈記」の記述とわかる。

 次はS紙
 ちょっとひねりを入れた面白い書き出しである。地下鉄の通風孔の上で噴き上げる風にスカートを抑えているマリリンモンローから入っている。
 「おおおおお~、色っぽい!なんの話の導入だろ?」
 興味津々、それが風の強さとなり、それが被害までもたらすという展開は、なかなか考えられていて面白い。
 しかし文のつなぎが上手な人ならいいが、一歩間違えれば牽強付会になったり、取ってつけたような不自然な文の流れになるから注意を要する。また女性読者にとってはワイらオッサンほどはこの導入部分に興味は示すまいと思う。

 最後に我が郷土のT紙

 これも先ほどのA紙と同じで率直な書き出しで、北から届く大きなニュース・大震災・原発事故・・そして今回の竜巻と聞いて・・・・惨状に言葉を失った云々。
 これも全く無難な書き出しである。誰でも感じる当たり前のことを書いている。読んでいて、ウンウンそうだ!ケチのつけようがない。でもそれだけに特徴のない個性の光らない文章になる恐れはある。テレビやラジオのアナウンサー原稿ならいいかもしれないが、少しはひねり、書く人の個性・特性が入った出だしの工夫があってもいいんじゃないかと思うが・・・・

 ところで自分だったらこの主題での書き出しはどう書くだろうか、と考えてみた。
 う~~ん、どのようにしよう。そういえば先日、龍になって高みに登るブログを書いたな・・あれ使おうか・・

 『先日5月5日子どもの日のブログで、鯉のぼりの象徴の鯉が艱難辛苦の末、竜門で龍に変身し、空に舞い上がると書いた。この舞い上がる龍は人の出世や希望などのよい象徴であった。しかし、こちらの舞い上がる龍はどうだ!一昨日の竜巻である。………』

 自分でも私の文の欠点はわかっている。一文がやたらと長くだらだらしてる。でもまあ、私は上のコラムニストのように文で金儲けなどしませんから、こんなもんですわ~ 

 皆さんならどのような書き出しにします。考えてみてください。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

書き出しは、最初に心に浮かんだ感嘆詞がいいと思います。「うひょー」とか「ガーン」とかです。私の場合は、文才が無いのでこの程度です。すみません。(~_~;)

yamasan さんのコメント...

ラブレターを書いたら文はうまくなるとだれか言ってました。私は残念ながら一通も書いたことがありません。

 しんさまはたぶんたくさん書かれたんじゃないでしょうか。
 いや、しんさまはたくさんもらうほうか、だから書かないや。
 でも返事は書くぞ、いやいや、しんさまのことだから相手から一方的に懸想(うわ~すごい古典語)されての受け取りだとそのまま無視か、わからん。