2019年5月17日金曜日

春の旅行 その3

 20140427

神と仏の国
 豊後国には仏教渡来以前の神々とその神社が残っている。そのもっとも大きな神社が前のブログで紹介した宇佐神宮である。
 じゃあ、この神社の神の性質は太古の信仰当時のままか?と問えばそうとは言い切れない。長い年月の間に少しづつ変容してきていると見た方がいいだろう。それは6世紀から始まった仏教の受容によって神の性質も礼拝方法も影響を受けたからである。
 その影響を表す一つが江戸時代まで神社の境内にあった神宮寺の存在である。神社でありながらその域内に寺も存在していたのである。神仏習合の象徴と見ることもできる。
 年月とともに神や仏が変容したり、また他の神仏から影響を受たりするのは日本の宗教の特色の一つである。それだからといって、まったく違った神や仏に生まれ変わるわけではない。私という人間が成長とともに環境や他人から影響を受けて少しづつ人格を変化させていったとしても私が別の人間になるわけではないのと同じことである。
 平安時代になると人々は極楽浄土信仰の影響を受け阿弥陀信仰が盛んになる。今回行ったのはその中で有名な寺、真木大堂である。中の本尊は、阿弥陀如来である。

 真木大堂の外観
内部の阿弥陀如来像
真木大堂の説明版
 他に阿弥陀信仰の寺としては国宝の富貴寺大堂があり、ここも今回訪れました。
富貴寺山門
 国宝のお堂はあとで動画をご覧ください。
 この地方は石仏や磨崖仏その他石の供養塔の類が多いため、今に残る神や仏も多いと言うことができる。木などで作ってあれば朽ちてしまえば、いったいどんな神仏だったかわからなくなりますからね。
 このように古い神仏も後からやってきた新しい神仏もどちらも相手を滅ぼすことなく仲良く共存してきたのがこの国です。おかげで神仏は増え続けます。しかし、唯一、例外の神がいました。この神はこの地方でけっこう流布し(ここは16世紀キリシタン大名の領地だった)、盛んになりますが、後に徹底的に弾圧されて根絶やしになります。それはキリシタンの神です。他の神仏は歴史の風雪に耐えて残ってきたのに、この神だけ滅ばされるのは無慈悲という気もしますが、他の神仏は他の神仏に対して融和的で共存できる性質でしたが、唯一神で厳格な教義を持ったキリスト教は他の神仏と共存することは許されませんでした。そのため結果的には、天下を統一した幕府の宗教政策に合わず弾圧を受けるわけです。これは他の神仏を全否定するキリスト教に対して土地の神々が反撃したと見ることもできますね。
 そんなわけでキリスト教関係の遺物はほとんどありませんが、杵築市太田にこのような隠れキリシタンと言われている墓があります。
 他に国東半島には下のような石塔が数多くあります。これは仏教関係のモノです。
 また仏となる以前の修行中で最も高いステージに達した人を羅漢といいますが五百人の羅漢石像も見学しました。

 最後に磨崖仏、五百羅漢石像、富貴寺大堂を動画でご覧ください。

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