20140429
山の吊橋し~ゃ、どなたが通る
『山の吊橋』なんていう言葉聞いて、どうよ?なんか感慨が、いやイメージでもいいわ、思い浮かびますか?
昭和30年代、ド田舎で少年時代を過ごしてワイにとっては『山の吊橋』と言えばラヂヲから当時流れていたこの曲を思い浮かべますね。
今だとどうでしょうかね、「吊り橋」と言ったら、鋼のワイヤで吊られた鉄骨製の鳴門大橋や四国三郎大橋の斜張橋を思い浮かべるかもしれませんね。ああ!そうだ!徳島だけは祖谷地方にかずら橋が残ってますから昭和30年頃のつり橋を今でもイメージすることができるかもしれませんね。
この春日八郎の歌に出てくる山の吊橋はこの祖谷のかずら橋に近いですね。蔓などのつる性植物によってつくられた大昔から(江戸時代以前から作られていた)のつり橋です。昭和30年代まではこのような吊り橋(もちろん歩行しかできないは)日本の山村には残っていました。
里では橋は川を横切るのに不便なため橋が架けられます。しかし山村では単に川を跨ぐのに便利だというばかりではありません。車などなかった大昔、山々に点在する部落を結ぶ道は山の中腹以上の場所を通る道が多かったのです(中には尾根道といって頂上の道もあった) そうすると谷に隔てられた向こうの部落なり道に出ようとすると深い谷を何メートルも下り、谷底の渓流を渡り、また向こうの山の斜面を登らなければなりません。この時間、労力は大変なものでした。
谷を隔ててすぐ向こうの斜面に、これから行くところが見えているのに・・・ああ、厄介なことじゃわい、谷に降りてまた昇らにゃならん、ここからあそこまで橋が架かっていれば・・・その利便性のため生み出されたのが吊橋だったのです。山の渓谷が深いため橋脚のある普通の橋はできません。こちらから向こうの山まで太い綱を渡して引っ張らせさらにそれに橋板を吊らせる「吊り橋」が大昔に自然と生み出されました。
伝説によればこのアイデアを思いついたのはお猿さんが谷の向こうに渡るのにこんな猿橋を作っているのを見たからだといいますが、ホントでしょうかね。
春日八郎の山の吊橋を渡る人は?曲をよく聞くとわかりますが渡る人それぞれにドラマがありますね。
♪~山の吊橋し~ゃ、どなたが通る~倅亡くした鉄砲撃ちが・・・二人目は、遠い都へ離れた人を偲ぶ村娘・・・三人目は、のんべぇの炭焼きが・・・
今はそんな懐かしい吊り橋なんかは、かずら橋同様観光資源として作られたもの以外はありませんね。ということで今回の旅行ではその観光資源として大成功した山の吊橋に行ってまいりました。
大分県の山の湯、筌の口温泉近くにある九重「夢」大吊り橋です。下は全景です。
山奥に観光の為だけにこんな長大な吊り橋作って、観光客来るんかよ~、儲かるんかよ~、との心配は数年で雲散霧消してしまいました。数年で建設費の元もとれ、今ではこの地方の観光の大目玉となっております。(通行料・往復も込みで500円)
動画をどうぞ
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