私が5~6歳のとき家に買われていた犬が亡くなった。私の生まれる前から買われていた犬で幼児の私にもよくなついていて利口な犬だった。名前はポッス、雑種だがおそらくダルメシアンの血が混じっていたのだろう体に独特の斑があった。
生まれる前からずっと一緒に暮らしてきた愛犬の死は幼児にとっては大変なショックであった。当時の記憶はあまり定かではないが、犬小屋の前に置かれていたムクロの光景は残っている。そしてそこからの記憶はない。その唯一の光景と非常に悲しかったことだけが残っている。だからここからは推測になるのだが・・・・・・
昭和30年当時、飼われていた犬や猫が亡くなったらその遺骸の処理はどうしていたであろう?私は祖父母に育てられていたが、おそらく幼児の私の願いはポッスを家の裏にある家庭菜園の隅にでも埋めて墓を作りたいというものじゃなかったのかと思う。だから強く祖父に頼んだかもしれない。しかし、そんな記憶も残っていないし、その後も庭や菜園のどこにも墓らしいものは見当たらなかったから、祖父が遺骸をどこかへ持っていった処理したものと思われる。
今だと法律の規制もあって犬猫の遺骸を捨てることは禁止されているので自分の管理する敷地に埋めるか、ペット用の火葬施設で処理するしかない。中には立派なお葬式を業者に頼んで執り行い、ペット用の墓を立てる人もいる。
祖父は当時の一般的なやり方によって死んだ犬猫を処理したのだろうと思う。一般的なやり方、それはどんなものか?60年も前の田舎では飼っていた犬猫の死骸は家から遠く離れた場所に埋めるか、原野に取り捨てるか、はたまた大河(吉野川)に流すか、のいずれかであったと思われる。ペット用の火葬場なんてものはどこにも存在しなかったし、また行政が引き取ってくれることもなかった。
埋める。取り捨てる。流す。の3つの処理の中で一番衛生的なのは埋めるであろうが、意外なことに、流す。という処理の仕方が多かったようである。この後、小中学生になって川に行くと犬猫の死骸がよく流れていた。事故で落ちて水死したということも考えられるがプックリと腹を上に浮かんだ犬の死骸の首には五円玉が紐で括ってあったから飼い犬の死骸を川に流したと考えられる。(三途の川の渡し賃として犬の首に五円玉を結わえたのだろう)
五円玉を首に吊るしてあるというのもそうだが、水に流すという行為そのものも考えれば、ある死生観に基づく供養と考えられないこともない。現にインドでは聖なる河ガンジスに遺骸や遺骨を流すという葬法が行われている。『流れ着いた彼岸でもっと良い生に輪廻転生する』ように願いを込めているのだろう。
60年も昔、我が田舎には愛犬の火葬場もペット専用の葬儀社などはない。犬猫をまるで人のように手厚く葬るということもなかった。だからと言って死んだ愛犬に対する哀惜の念が今の人のようになかったか、というとそんなことはない。やはり愛犬の死はそれなりに悲しくもあり、弔ってやりたいという気持ちは持っていたのである。そのように考えると、愛犬の遺骸を埋める、取り捨てる、流すという行為は、土葬、風葬、水葬、と取れないこともない。
1000年も昔、平安・鎌倉時代の庶民の葬法はこの犬の葬法とたいして変わるものではなかった。京都南東部にある小高い山・鳥辺山の周辺を見てみましょう。
鳥辺山に近づくにつれてカラスが多く群れてきました。ギャアギャア不気味な声も聞こえます。野犬もウロウロしています。鳥辺野に足を踏み入れると・・・・・・・
あちらこちらに土饅頭のような盛り土が見えます。そして地面にはむき出しのムクロが・・・
少しばかり財力のある庶民は墓を作っています。土饅頭がそれです。貴族でもない庶民は石塔などは建てません。木製の卒塔婆を立てています。財力によって土饅頭を石垣で覆ったり、木製の卒塔婆を立派にすることもあります(一枚目の写真)
しかし普通の庶民は遺骸がそのまま横たわっています。単なる取り捨てではなく、この時代の一つの葬法だったと思われるのは上の写真で見ると、どちらのむき出しの死体も敷物の上に寝かされています。そして女性のムクロの枕辺にはお供え物のようなものも見えます。(別の解釈では、死の穢れを極端に嫌うため息が止まる前に、つまり瀕死の状態のまま、ここまで運んでムシロの上に寝かせて置いてきたとも考えられます)
このような葬法は『風葬』と言ったらよいのでしょうか?しかし・・・・・下図のこんなのを見ると風葬でもあるし「鳥葬」(カラスが食べているが、鳥だけでなく野犬や狸も)とも呼べるのじゃないかと思ってしまします。
風葬でもあり鳥葬でもあるのか。
こちらは同じ風葬でしょうが寝棺に入って置かれています。江戸時代は坐棺が多かったので平安・中世の棺桶も坐棺が主流かとも思われますがこれを見るとそうでもないですね。蓋は飛んだのか初めからなかったのかわかりませんが、やはり風葬だけでは済まないようで、鳥葬(小動物に食べられる)にもなっていますね。もちろん弔う人もそんなことは承知してます。(火葬や土葬じゃないんですからね)仏教には「捨身飼虎」(わが身を飢えた動物のエサとして差し出しその功徳によって上のステージに輪廻転生をするというもの)という考えもありますから鳥葬に近いこのような葬法にそんな思想もなにか影響しているのでしょうか。
ところどころこのように石塔を立て、柵で囲った立派な墓もあります。貴族か武士かいずれにしても財力のあった人でしょうね。
次回ブログにつづく
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