百年ほど前、モラエスさんが徳島に移住したとき、身の回りの世話をする女中をおいている。コハルという二十歳の娘である。コハルは神戸時代の現地妻だったおヨネの姪にあたる。(おヨネは徳島移住の一年前に病没している)
さて、このコハルであるが、実態は妾奉公であったのだろうと思われている。つまり家事ばかりでなく、夜のお相手もする女性である。この時代、住み込みで一人暮らしの男性の世話をする女性は、夜のサービスも行うのが普通であった。(よほど高齢の婆さんなら別だが) 100年前の大正時代である、売春婦も職業として認められていた時代である。名称はともかく、女中業と夜のサービス(性的な)も同時にこなすいわゆる妾奉公は社会的にも認められていた。
コハルの家はモラエスさんの借家から歩いて10分くらいのところにある「堀ブチ」である。今はそんな地名はないが、当時の地図で調べると、堀ブチという地名がある。(現在の地名は秋田町4丁目か伊月町4丁目あたりか) 下が100年ほど前の徳島市の地図である。
「堀ブチ」という地名はその前に掘割(溝に近いかもしれないが)が通っているところからついた地名だろう。この掘割の「堀ブチ」、南に渡ると、そこは公認の売春施設、『秋田町遊郭』がある。(現在の秋田町5丁目)地図で見ると遊郭の四辺の二辺は掘割に囲まれていて、あとの二辺の周りは田んぼが広がっている。江戸の吉原遊郭と環境がよく似ている。コハルはそんな秋田町遊郭のすぐそばの家で育ったことになる。
下が当時の秋田町遊郭の内部図である。
今も、当時の伝統だろうか(なんと明治12にできたときから数えると150年だが)、非合法売春の場所として有名である。いま、どないなっとんか、ちょっと見たいが、用もないのにウロウロするのは気が引ける。そんな時便利なのがググルのストリトビュである。昼間の撮影であるのでそんな雰囲気はないかもしれないが、夜ともなると、立ちんぼ、辻君、いや遣りて婆さんかな、が出るのだろう。
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