このブログで取り上げる北方探検の主役はリンちゃんこと間宮林蔵はんなんですけれども、まだまだリンちゃんは登場しません。海外渡航が厳禁され、各人がかなり厳格に土地や職業に縛り付けられていた江戸時代、リンちゃんがはたして探検などと称してヒョコヒョコ未知の土地を探求する「探検」なんどに出られるものか?まず、普通では無理でしょうなぁ。例外として未知の土地(というか未知の外国か)に行った人はいますが、これは難破などで意図せずにしょうことなしに行った場合です。その場合でも送り返される人は稀です。こんなのは探検と言いませんわな。
リンちゃんが探検に行くにあったっては、大きな動機、確固たる目的、そしてリンちゃんの強い意志と体力が必要なのは言うまでもありませんが、何よりまず幕府の許可がいりますわな。幕府では海外渡航の禁止は百五十年以上にわたって守られてきたため、ほとんど祖法(先祖から子孫にまでわたって絶対守られるべき国法)と化していました。だから簡単に日本国以外の未知の領域に探検に出かけることなど許されるはずはありません。
ところが十八世紀も後半になると日本の北方領域に強大な国家勢力が進出してきたのです。それがオロシャ(今のロシア共和国の先の先の国です)だったのです。もともとのオロシャの身元は、といっても本人がそう言い張っているだけですが、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の正統な後継者だそうです。ホントにそうならば、大したもんだよ屋根屋のふんどしなんですけれども、怪しいもんです。
ま、事実としては十六世紀ころにモスコーあたりにあったド貧チョコマイ国でした。ちょっと前まではモンゴル帝国の後継国であるカン(汗)国(細目、鼻ペシャ、平面顔のワイらの仲間モンゴロイド)の支配国でしたから大したもんやおまへん。
そんな国が16世紀になるとヨーロッパ勢の一翼として中央集権的な国家体制を整えると同時に自国外の領域に探検・手荒い通商実際は収奪や強奪・そして征服という手段で地理的な膨張を開始したのです。南欧のイスパニャやポルトガルの最初の海外膨張の動機は主に香辛料だったといわれていますがオロシャの場合は主に毛皮でした。その膨張領域は大洋ではなく東の方にずっと延びるユーラシア大陸でした(シベリア)。ここには香辛料と同じようにヨーロッパ人の渇望する優良な毛皮が取れたのです。クロテン何かは最高級の毛皮で今日でも宝石と同じくらいの価値を持っているといわれていますね。そんな高価な毛皮(もちろんその獣をブチ殺してとるんですけれども)を収奪して行ったのです。同時に国家の主権の及ぶ領域としてそれらの地方を版図に入れ行きました。
17世紀末にはとうとうユーラシア大陸が果てるオホーツク、ベリング海まで達しました。当然南方にある大清帝国とぶつかりますがオロシャの征服した北方域(シベリア東部)には中国から見て大した産物もなく、人も少なで関心は低かったと思われます。また近代的な国境概念のない中国人はヨーロッパ勢のように国境をめぐって寸土を争うような姿勢はなく、かなりおおらかな(ある意味寛容な)態度でオロシャ進出に対処しました。(それでも勢力範囲の境界を定めた取り決めを結んでいます)
しかしオロシャはオソロシヤですね。大清帝国の力が弱まるにつれ清国の版図を次第に蚕食していきます。完全に清国の領土だった沿海州なんかは19世紀中頃おこったアロー号戦争のどさくさに紛れてドズンベラこくポッポ内々してロシア領にしてしまいます。後の太平洋戦争末期のどさくさのまぎれの日本領土を掠め取ったのとやり方、約百年たってもたいして変わってまへんわなぁ。
そのオソロシヤが18世紀中期以降になると樺太や千島列島を南下して来始めます。すると今度は日本とぶつかります。日本は清国のように鷹揚に構えていていいんでしょうか?
次回ブログにつづく
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