藩政時代の徳島の地図の福島を見てみると、ほかの島と違ってちょっと複雑な形をしている。
長っぽそく真ん中あたりで直線的に堀か運河だろうか、沖の洲川から北へ伸びているため、福島がほとんど二つに分けられている。
その右半分は人工的に構築された地形をしている。東の端、沖の洲の方から海が湾のようになって入りこんでいる。そして湾内には三つの突堤がある。南西にはほぼ真四角の築島がある。
この湾入、三つの突堤、この構築から推察されるように(500~1000石級の)大型和船が出入りする港である。そこには徳島藩の船を扱う役所も隣接してあった。御水師屋敷と呼ばれていた。阿波水軍を統率する本部である。このあたり一帯は、福島という地名からわかれて「安宅」と呼ばれた。
南西の四角の築島にはそのような地理的関係から船大工が住み、大工島といわれていた。今、大工島の地名はなくなり、現在は大和町となっている。
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