2019年5月29日水曜日

安宅・大工島

20170722

 藩政時代の徳島の地図の福島を見てみると、ほかの島と違ってちょっと複雑な形をしている。


 長っぽそく真ん中あたりで直線的に堀か運河だろうか、沖の洲川から北へ伸びているため、福島がほとんど二つに分けられている。

 その右半分は人工的に構築された地形をしている。東の端、沖の洲の方から海が湾のようになって入りこんでいる。そして湾内には三つの突堤がある。南西にはほぼ真四角の築島がある。


 この湾入、三つの突堤、この構築から推察されるように(500~1000石級の)大型和船が出入りする港である。そこには徳島藩の船を扱う役所も隣接してあった。御水師屋敷と呼ばれていた。阿波水軍を統率する本部である。このあたり一帯は、福島という地名からわかれて「安宅」と呼ばれた。

 南西の四角の築島にはそのような地理的関係から船大工が住み、大工島といわれていた。今、大工島の地名はなくなり、現在は大和町となっている。

0 件のコメント: