寺院や神殿は「聖」なる場所の最たるものであるべきである。それに対し「俗」なるモノの最たる場所はどんなところであろう?歓楽の巷がそんなところであろうか。歓楽街!のぞいてみると、酒場、売春宿、見世物、芝居小屋、射的賭博場などなど、確かに俗極まれる場所である。
キリスト教社会もイスラム教社会も、聖なる場所と俗なる場所は峻別されていた。聖なる場所と俗なる場所が隣り合わせ、いやむしろ渾然一体と化したような社会はありえなかった。聖職者の祈祷の声と売春婦の嬌声が入り混じって聞こえるなど、おぞましいにもほどがある。そんなところが存在するはずはない!
ところがところが江戸・浅草付近はそうじゃないんですなぁ~。浅草には観音様を本尊とする浅草寺が中心寺院としてあり、その周りにたくさんの支院、や中小さまざまな寺があります。いわば聖なる場所でもあるわけですが、その周り、いや浅草寺の境内でさえ前記の定義から言うと「俗」なるものが目白押しに並んでいました。見世物、早業、射的賭博、三文芝居等々、街路で袖を引くいわゆる辻君(公許されない売春婦)もいたでしょう。またすぐ近くには官許の芝居小屋があり、公認の色町・吉原もありました。
浅草寺の本尊観音様もずいぶんくだけた仏様です。その境内に聖と俗が仲良く共存させていたのですから。でも浅草寺の裏の方にある待乳山聖天さん(歓喜天)の方が浅草寺を取り囲む仏様の中でもとりわけ俗なものがお好きな仏様でした。
ご神体は、ほれ!このようなもので、二体の象頭神が抱擁しているものです。(中には女陰の中に男根が深々突き刺さったままで抱擁しているなんとも気色の良いご神体もあります) 俗も俗、その中でも特に性に御寛容な感じのするご神体ではありませんか。その期待に応えて、この仏様の専門分野は、夫婦和合、子授けの神としても信仰されているそうです。
このように抱擁し結合してワイら人類が生まれたためか、この二神一体の仏様はワイらの父母のような慈悲を持っていて、他の神様仏様に捨てられた者でも彼らの慈父慈母となって願いを聞き入れてくれるそうです。穴(あな)うれしや!
この仏様、ステージから言うと第一の如来、第二の菩薩、よりずっと下の「天部」に属する仏様です。だからでしょうか極めて俗な者たちの俗な願いを聞いてくれるのでしょう。
「天部」の仏様は数多くいらっしゃいますがそのルーツはヒンドゥ教の神々から来たものが多いようです。このお聖天さん(歓喜天)はヒンドゥ教のガネーシャ神です。どんな神様かというと。
ありゃ~、おどろいた、デラックスマツコの鼻が伸びたんかと、思うたわ!プックリ太り、なんか面白そうな神様ですね。
でもさすが聖と俗とが混沌としたヒンドゥ世界から来た神様だけあって日本でもまるで俗なるものの守護神的な役割を果たしておられます。
まあ、お聖天さんの能書きはそれくらいにして今月の3日に浅草寺の裏にある待乳山聖天に行ってきましたのでご紹介します。
まず江戸時代の待乳山聖天の錦絵をご覧ください(広重作です)、隅田川の向こう岸(東岸)から待乳山昇天を見ています。その名のとおり10メートル足らずの小山・待乳山が向こう岸の暗闇に浮かび上がっております。待乳山の麓に川が隅田川に注いでいるように見えますが(小さい橋もかかっている)これは川ではなく掘割で船のまま吉原まで行ける「山谷掘」です。
夜、一人で川端にたたずむ女は「夜鷹」(低級売春婦)でしょうか?着物が高級そうだからちがうかな、わかりません。
位置関係を見るため地図もご覧ください。クリックで拡大できます。
待乳山聖天の写真です。
この待乳山聖天の下にこんな碑が、鬼平犯科帳など江戸の時代小説家の大家、池波正太郎はここで生まれたんですね。
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