2011年1月17日月曜日

小松島今昔

 今日も寒いことは寒いが、ここ2~3日の寒さと比べれば穏やかな冬の日である。このところ太陽の光の明るさがぐんと増してきた。気温はまだまだ低いが「春は光から来る」というのもうなづけます。日が暮れるのも目に見えて遅くなってきています。
私の影のコントラストがはっきりしている。光はこのところ強さを増しつつあります。
 一陽来復、春は、光からやってくる。







わりと穏やかな日なので、正午過ぎに南小松島の駅前に立つ。
 大橋を渡れば、港。大きい船は今はいない。海上保安庁の船が停泊している。












昔、ここから阿摂航路の船が出てた。
昭和40年ころまでは、集団就職に出発する中学生たちを見送った。紙テープを長く引いて、あきつ丸は出て行った。
 喜び、別れの悲しみ、ゆめ、希望が交差するところであった。
 今は、すべてが夢のよう。
 あの時の紅顔の少年は、いま、どうしているだろう。

賑やかな小松島沿線、趣のある木造の小松島駅、港駅で出発を待つ列車、そのデッキを縫うように威勢よく売り歩いたチッカ売りのおばちゃん、みんな、みんな消えてしまった。
 よせてはかえす波だけが昔と変わらない。 




えーっ、ここまでかわったのか!
日赤病院までない。広大な更地の隅に某福祉法人の幼稚園がたっている。
しらなんだ、小松島よ、どこまで変わるのか。






旧日赤跡地から南を見るとこれだけは昔と変わらぬ「日の峰神社」
 参拝登山を決意する。







山頂、神社に参拝










頂上から勝浦川の方を眺める。










先ほどの岸壁が真下に。
古い港町の面影はない。









反対側は大神子海岸、白砂青松がまだ残っている。開発と称する破壊はやめてほしい。









山を下りて、昔の小松島線の線路の跡が遊歩道になっているので歩いていたら、巨大な建物が、これが新しい日赤とか。
 いま、羽振りの良いのは病院、福祉施設ばかりというのでは、小松島も困る。お上も新産業を考えているのでしょうが、目立たない。残念。




旧線路沿いには猫が多い。餌をもらいなれているのか、私の顔を見ると
「ねう、ねう、ねう」
とかわいらしく鳴く。
 私の思い込みかもしれないが、港町とさびれた街には、多くの野良猫が似合う。





交通安全の木偶の坊が。
ちゃんと服を着て立っていた。
小松島はこんなデコンボウがあちこちにある。
 見ていてさびしい気持ちになるのはなぜだろう。





中田駅まで歩きもう一度登った山を遠くから参拝、手を合わす。








呼んでも帰らぬ昔の小松島、過去は意味ないものなのか、年寄りの繰り言か、
栄枯盛衰も一炊の夢、私は長く生きすぎたのかなあ。
 なぜか、港町十三番地。

3 件のコメント:

yamasan さんのコメント...

 港を歩いていると小松島ハローワークがあったので寄る。鴨島よりこじんまりしてるね。
 そこで新しい基金訓練のパンフを見ると、宅建の3か月講座があった。これを見たとき、「ああ、基金訓練は、ここまできたか、もう、おしまいじゃ」と正直思いました。
 宅建の合格率はどれくらいと思っているのだろう?こんな講座で失業者に役立てるのだろうか。私にははなはだ疑問です。
 資格商法すれすれの講座にならなければといいと願うばかりです。

トシ さんのコメント...

小松島はここ最近はよってませんが、以前はちょくちょく写真やスケッチに出かけてました。
旧小松島港も今はたまにイベントしてるくらいで、確かに昔に比べると、寂しさも否めませんね。

てるゆき さんのコメント...

宅建の合格率は、どのぐらいですか?費用は、いくらかかるのですか?何故、yamasanが、資格商法すれすれの講座になると思われたのですか?
昔、南海フェリーを使い、大阪に母親や、弟とよく行きました。あと、高校の修学旅行も、小松島フェリーで、大阪まで行き、そこから、関東に行きました。僕が、高校のときは、二条通りにバスが走り、すごく栄えていました。今は、別の所みたいです。小松島に来られたのなら、お会いしたかったです。