2011年1月5日水曜日

駅伝に思うこと

今日も体がだるく、元気が出ません。いつも明け方持病が起こるので、夜が来ると憂鬱になります。
 でも、一日一日が無事に過ごせたらいいと思い、なにもなく朝を迎えれば、頑張らねばと気張っております。
 
 年末から借りていた本やビデオを返すため、朝のうちに阿波市の図書館へ行きました。行く途中、県道沿いに中学生や高校生ぐらいのグループが歩いています。引きずるような長い長いジャンバーのようなものを着ています。
 「おお、ありゃ、なんじゃ、新種のファッションか?」
 くるぶしまであるようなジャンバーかコートのようなものなどあまり見たことなかったので、一瞬わかりませんでした。目が悪い私が遠くから見ると、少年たちがかかとまである大きな青いごみ袋をすっぽり被り頭だけ出したように見えます。
 近くまで来て鈍い私にもようやくわかりました。
 「駅伝の北路コースが今日だった。」
 「あの長いジャンバーは、ランニング、短パン姿の薄着を防寒するためのものなのだ。」
 最近のスポーツ服、スポーツ靴の、機能や種目別の多種多様ぶりには目を見張るものがあります。スポーツをやる坊ちゃんや嬢ちゃんを持つ親は、大変でしょう。スポーツ用具ばかりかスポーツ服、靴を細かく用途別に買い揃えなければなりません。そしてこれらのものは非常に高価です。長距離用のランニングシューズなんかは数万円するといいます。私なんか980円のズックを履きつぶすまで使います。

 もともとマラソンは金のかからぬ貧者のスポーツのイメージがあるんですけど、今の日本ではそうではないようですね。
 途上国ではボール一つで出来るサッカーが貧しい少年たちに人気だといいます。マラソンなんかは何一ついらないからもっとも貧者のスポーツのような気がしますが、高価なまっさらぴんぴんのランニング、カラフルでかっこいい短パン、何やらしらんがファスナーのついた宇宙服のようなジャージ様のもの、長いコート、目を剥くような立派なシューズを見てると、日本ではそんなイメージは完全にないですね。
 約50年前、エチオピアからある青年が東京オリンピックに出場しました。当時の世界の国の最貧国、彼も貧しかった。貧しさゆえ、トレーニングもままならなかった。彼は裸足で走るんだけれど、貧しくて靴も買えなかったという噂も信じられるくらい、金をかけずに出場しました。
 あらゆる、オリンピックスポーツのなかで、これくらい金をかけないスポーツはないと、当時はまだ裕福でなかった日本人は信じていました。
 黙々と自分のペースを考えて、長時間走るランナーに日本人は古来から続いている求道者の像を重ねました。例えば宮本武蔵のような。
 他のスポーツ選手は大きな馬力を必要とするため、筋骨隆々の人が求められます。日本人やエチオピア人のような体の小さいスリムな人はそれだけで不利です。しかし、禁欲的に長時間、走る苦しみを克服しながら走りぬくマラソンはそうではありません。まるで仙人のような枯れた体つきをしていても素晴らしい記録を出せます。
 当時、この無名のやせっぽっちで貧しいエチオピアの青年は、マラソンでなんと金メダルを取りました。日本人は我がことのように喜び、熱狂しました。彼には欧米の選手と比べ有利になるようなものは、空気が薄いところで育ったというただ一つを除いて何もありませんでした。
 マラソンのこのような特質は日本人のもっとも好むところであり、今まで続くマラソン人気のもととなっていると思われます。
 しかし、今、選手を見てると、体格も半世紀で欧米人と比べて遜色なくなりました。そして彼らが着ている機能を重視した高額のスポーツ服、靴を見てると、エチオピアの貧しい青年が証明してくれた
 「貧しくても、できるスポーツがあるんだ。」
 という感動は過去のものになったような気がします。

2 件のコメント:

WHOchan さんのコメント...

遅れましたが、

明けましておめでとうございます。

新年そうそうお体大変だったようですね。

あまりご無理なさらずまず体調を整えてくださいね。

てるゆき さんのコメント...

昨日の朝で、郵便局のバイトが終わりました。昨日、14時に、市役所のバイトの面接に行ってきました。朝九時から、十六時までだったのですが、僕が行った時、僕を入れて、10人でした。今日は、甥の子守り中です。
スポーツは良いですね。yamasanも徳島マラソン目指しませんか?