2019年6月3日月曜日

一陽来復、ヒメコ婆さん喜ぶ

20181223

 昨日は冬至だった。夜のニュースでカボチャ料理を食べただのゆず湯に入っただのの映像が流れていた。冬至にそんなことをするいわれを昔聞いたことがあるが、カボチャのビタミンが風邪をひかない体つくりにいいとか、ゆず湯は香りやその湯に浮かぶゆずが温泉の効果と相まってリラックス効果があり健康に良いというものだった気がする。

 熱帯や亜熱帯はいざ知らず、緯度の高い地方は冬に向かう頃で寒さが本格化するうえに太陽の高度が一番低くなり、昼は短く夜は長く、正午の晴れた日でも光はうんと弱くなる。初冬に曇りの多い気候だとますます昼は暗くなる。暗く、寒く、夜が長いのではこころも自然と陰鬱になってくる。

 毎年、冬が過ぎれば春がやってくるのはわかっていても、日々、太陽高度が低くなり、西の山に隠れる時間がどんどん早くなると

 「もしかして、今年は、このまま太陽が弱って、ずっとくらい冬が続くんじゃないのかしら」

 と不安になる・・・・・・・・・・・

 太古、この辺り一円の村を統括する長(おさ)がいた。祭政一致の政治を行っていたため男の長(おさ)とバアさんの大巫女の二人が「政」と「祭」に役割分担して多くの村を統括し治めていた。大巫女はシャーマンで長の求めに応じ、神がかりして重要な政治課題について神託を下していた。

 稲刈り、脱穀も終わり、秋の収穫の祭もおわるころ、大巫女のヒメコ婆さんにはある不安があった。それは今年は例年と違い、天候が不順で、ババアになるまで経験で蓄えてきた経験則が当てはまらないのである。いつもだと経験から翌日の天気やめぐりくる春夏秋冬の寒暖の予測もよく当たっていたが、今年はまずその天候の予測がことごとく外れているのである。

 その上、天候不順が災いし、秋の収穫も極端に少なかった。そんな時でも太古の森や山は飢饉を補う山の幸(木の実、ベリー類、イノシシ、鹿、ウサギなどの肉)をもたらしてくれるが、今年はなぜか木の実は少なく、山の獲物もほとんどとれないのである。今は少なかったとはいえ秋の収穫がすんだばかりなので何とか食いつないで行けるが、冬~春にかけて飢えはじょじょに広がりそうである。

 長や村人からは頼られる、今までは長生きした経験知識の積み重ねで多くのことは解決できた。また当面の予測もよく当たる。しかし経験則が当てはまらない今年は、なんか違う、とヒメコ婆さんは思い始めていた。晩秋が過ぎるころ、真冬でもちょっとないほどの大寒波がやってきた。毎日のように厳しい寒気が続く。

 ヒメコ婆さんのいる神殿の内庭には日時計がある。まっすぐな一本の棒を立てその周りを半円形に等間隔の目印になる石を並べただけのものである。簡単な仕掛けだが晴れた日なら棒の影が目印の石のどの部分に当たっているかを見ることでおおよその時刻を知ることができる。これは半死半生で流れ着いた異国の人から教えられ作ったもので村人も長も知らない。ヒメコ婆さんは晴れた日なら時刻を知ることで、晴れた日は神殿の階(きざはし)に定刻にでてみんなが見えるように祈った。晴れた日、違わず定時にあらわれ祈るヒメコ婆さんをみて人々は不思議がった。ヒメコ大巫女はんは太陽の化身じゃないのか知らん?と。

 ヒメコ大巫女は一日三回、神殿の階に立ち、人々の前で祈ったがその三回の中でもっとも大きな祈りは正午の祈りである。太陽が最も輝き明るくなる時刻である。太陽の出ていない日は神殿に籠って人知れず祈ったから、そんな姿を見て人々はますますヒメコ大巫女と太陽の密接な関係を確信したのである。最も太陽が強くなる正午の時刻を正確に知るのはもちろん内庭に置いてある日時計である。その周りの半円形の真南に配置してある石に影がちょうど重なるときに神殿の階にでて大祈念をするのである。

 その真南に落ちる日時計の棒を見て、ヒメコ大巫女はため息をついた。

 「あぁ、毎日のように棒の影が長くなっていく、日の沈むのも早くなっていく、このまま太陽はどんどん低くなり、弱くなって、闇の世界になるのじゃないのかしら」

 もちろん冬が過ぎれば春がやってくることは自然の法則であるが、今年はその経験則がことごとくといっていいほど外れた。そうすると太陽がまた高くなり力を回復することが今年はないのかもしれない。初めは疑念であったが、秋の終わりから続いている真冬の寒さ、飢饉の予兆とあいまって、まったくたがわずきちんきちんと長くなる(つまり太陽高度は確実に落ちている)日時計の棒をみて確信に変わった。

 「太陽はどんどん低くなり弱くなってやがて地上から姿を消すに違いない。私はどうしたらいいのだろう」

 悩みの末、狂乱したヒメコ大巫女は神殿を出奔して山に隠れた。長をはじめ村人は大騒ぎ、ヒメコ大巫女様が消えた、探せ、探せ、見つからなければこのまま太陽とも縁が切れて闇夜になるぞ。と村人も狂乱してしまう。人々は必死になってヒメコ大巫女を探し回った。そして山奥の洞窟に隠れているヒメコ婆さんを見つけて抱えて神殿に連れ戻した。長をはじめ村人はヒメコばあさんの前に跪き懇願した。

 「ヒメコさまぁ~~~、どうかワイらを見捨てんといてつかはれ、あんたはんに隠れられたら太陽も姿を見せんようになりまっせ、どうかお願いしま、太陽に力を取りもどさせてやっておくんなはれぇ~~~~」

 泣きながら縋り付かれるように頼まれたヒメコ婆さん、えええぃ!ままよ、ここはこのババの一世一代の祈祷をやってこまそ、それでもこのまま太陽が消え、闇になり、みんな死に絶えればこのババももろとも、と開き直り、太陽回復の一大祈念祭を執り行うことになった。

 まず太陽に力を回復させる祈りをヒメコ大巫女は工夫しなければならない。今となっては想像しかできないが、例えば盛大に火を焚いて、熱と光をもたらし、それで太陽の力を後押しするという方法などが考えられる。あと思いつくのは、広場で男女入り乱れての大乱交セックス祭、性交は御存じのように生殖すなわち再生の根本、やるほうもやられるほうも幸せいっぱい、それで多産豊穣再生が繰り返されるんやから太陽の力回復にはもってこいや、ワイの好みとしてはお勧めのお祭りやが実際はどうかなぁ?当然、打楽器、鳴り物、人々の喚き声、歌などの伴奏が伴うのは言うまでもない。それをやり始めたのが今の新暦で言うと11月の末頃である。

 今までヒメコばぁさんは、日時計の棒の長さなどに関心はなかったが、今年のこの異常な年に、その長さそして日々のその変化速度に関心を集中した。太陽回復の祈念を始めてからその変化速度を特によく観察しだした。しかし悲しいことに11月末からグッグッと長くなりつつある影の速度は12月に入っても落ちる気配は見せない、確実に影は長くなっていく(高度は低くなる)。ヒメコばぁさんは人知れずそっとため息をつく

 「太陽回復の祈念祭を繰り返しやっているが、効果はない、棒の影は着実に日々長くなっていく、恐れていた通り、太陽はこのまま地平に落ちてしまうのだろうか、ああ、何とかしたい、でももう方法が閉ざされている、でもみんなの心を少しでも明るくする方法ならある、それでもいっちょやってやろか」

 人々が太陽回復の祈念に倦み疲れたころ、ヒメコばぁさんは、夜長を暗く打ち沈んで半ば絶望の中に過ごしている村人たちのために娯楽を兼ねた集会を開くことを思いついた。村一番の芸達者と思われるものになんか面白い見世物で太陽回復の祈念の主旨にも沿うような出し物を工夫せよと命じた。芸達者はそれならばと、ヒメコ大巫女が山奥に隠れ、太陽も隠れてしまうことを心配した村人たちがヒメコ大巫女を呼び戻したあの出来事を脚色して「大神楽」としてやることにした。

 今の暦で12月10日ごろの夜、ヒメコ大巫女の神殿前広場には昼かと間違うばかりの明るい篝火がたかれ、その中央にはシメ縄で囲まれた舞台があり、そのうえで大神楽は始まった。周りは多くの村人そしてヒメコ大巫女も取り囲み神楽を見守る。神楽は筋書き通り進んでいく。太陽の女神が岩戸に隠れ世が闇に閉ざされるところでは人々は神楽ということも忘れて嘆き悲しみ、また岩戸を開くため猿田彦がお道化た舞を舞い、アメノウズメがストリップショーをするところでは大いに笑った。タジカラオノミコトが岩戸に手をかけてエイとばかりにこじ開け、女神が現れ、再び世に光が戻った時は全員大歓喜に包まれた。ハッピーエンドで終わる神楽を見ながらヒメコばぁさんは

 「ああぁ~、こうあってほしい、これが現実ならどれだけよかっただろう。でもたった一時、一夜だがみんなこれだけ楽しんでくれたのは本当によかった。」

 この夜神楽が終わってからは雪交じりの寒風もおさまり晴れた日が続くようになった。そして翌日からもヒメコばぁさんは棒の影を日々観察していたがなんと!今まで同じ速度で日々グググッと長くなっていた棒の影の長くなる速度が目に見えて落ちてきたのである。そして12月20日前くらいからその長くなっていたのが止まったのである。

 「あぁ~らうれしや!祈りが通じた!」

 そしてしばらく止まっていた影の長さは12月24・25日ごろから明らかに、ほんの少しではあるが短くなり始めたのである。太陽の高度は再び高くなり始めたのである。神殿の内庭で日時計の棒を凝視していたヒメコばぁさんはそのことをいち早く知ったが、長や村人はまだ知る由もない。ヒメコは影が短くなり始めたことを確認すると間髪を入れず、神殿の階に立ち、正午の陽光を全身に浴びながら大手を上げ太陽を崇めるように宣言した。

 「太陽は回復された!」

 人々は大歓喜に沸き立った。

 (ワイの妄想、一陽来復の昔話、お粗末さまでした、って、こんなんだれも読むか!)

 冬至の翌日、太陽の光を求め日向ぼっこをするニャンコ、一見かわゆく見えるが、この両耳の喧嘩傷みておくんなはれ、7年前から蔵本駅を縄張りにのさばっている大金玉のオス虎です。

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