2019年6月3日月曜日

30年前の今日

20190107

 ちょうど30年前の今日は昭和が終わった日だ。一つの時代を区切る画期の日だったので何をしていたのかは私はよく覚えている。数日前から志摩の賢島へ旅行していてその旅行が終わり、深夜、神戸の青木から出ている徳島行きの夜行フェリに乗って早朝、家に着いたところだったのである。休日はこの日で終わり明日から出勤という日だった。当時はあまりテレビを見なかったが、それでも何気なくつけたテレビの様子がなんかあわただしい。どうも臨時番組を流しているようだ。もしや崩御か・・・・・、とすぐ思った。

 いま45歳以上の人はよく知っていると思うが、この当時、どのニュースも必ず下血症状で病床にある陛下の容態を毎日詳しく報じていた。下血量、輸血量、体温等々、そんな陛下の御容態のニュースは半年くらい毎日続いていた。そして日ごとに輸血量も増えていきそれに伴い御衰弱の様子も上記のバイタル数値発表の合間にニュースを通じて漏れ聞こえてきた。誰が始めたのか、別に強制も要請もされなかったのに世は自粛モードに入り、何やかやの行事や祭りが縮小したり中断されたりも続いていた。そして年末頃はみんな口にはしなかったが「昭和の最後の日」は近いんじゃないかと薄々思っていたと思う。

 そういう状況だったので、テレビのスイッチを入れた瞬間、臨時ニュースのような番組が飛び込み、年配のアナウンサーが濃い色のスーツを着て重々しい口調でしゃべっているのが耳に入ったので、内容を聞き取るより先に「崩御」という言葉がすぐ頭に浮かんだのである。アナウンサーの言葉を聞き取ると「陛下は〇時〇分、崩御され・・・・・昭和は今日で終わりました」、繰り返し繰り返し同じようなフレーズが放送されている。崩御されたのが早朝でそこからあまり時間がたっていなかったので、たぶん各局では用意してあるであろう昭和最後の特番録画なんかはまだ放送していなかった。

 「昭和が終わった」

 その言葉を噛みしめてみたが特に感慨はわいてこない。それより明日から始まる新元号が気になっていた。この時私は37歳、でももしこの時70歳近かったらもっと深い感慨を抱いていたに違いない。この日の号外、あるいは翌日の朝刊の大見出しは、~激動の昭和終わる~であった。私は昭和26年の平和条約締結の年に生まれ、アメリカの庇護のもと平和な時代に成長し、高度経済成長での余沢にもあずかり、私らの同年代は戦争や動乱などは体験せずみんな平穏無事にそれぞれ大きくなってきた。しかしこの時60代や70代の人はどうだったろう?満州事変~上海事変~そして大きく拡大した日中戦争、そして太平洋戦争、と成長期、青年期がこの戦争の時期に当たっている。この人たちは動乱、激動の昭和を生きて、そして昭和20年を境に敗戦、戦後の混乱、経済的困窮、そして高度経済成長、さらにはバブル崩壊まで経験したのである。60、70代の人にとってはまさに激動の昭和として感慨は深かっただろう。

 「昭和」は空前の長さの元号であった。これは中国歴史も含めてである。これに次ぐのが清朝の康煕、乾隆両帝の御代(元号も帝の名と同じ一世一元のため)だが、それぞれ61年と60年である。昭和の64年は最長である。康煕、乾隆は昭和に次ぐ長さといっても、おおむね緩い(悪く言えば停滞的)社会変動しかなかった。ところが昭和は空前の長さであるばかりか、世界大戦を挟み、大陸でのうち続く戦争、結果、大日本帝国の滅亡、戦災の大量死、荒廃、しかし並行して革新的な科学技術や産業の大発展もあった、それに伴う社会変動が強烈だった。もうこんな御代はないだろう。

 先日、今上陛下が、平成は一度も戦争に巻き込まれず、平和なまま幕を閉じようとしています、と仰られていたが、その通りだと思うと同時に、30年前に終わった昭和がいかに動乱と変化に満ちた御代だったかあらためて思い知らされる。その昭和が終わって今日でちょうど30年。やがて4か月もせず新しい御代が始まる。

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