2019年6月3日月曜日

イノシシと古い石仏

20181231

 ここしばらくはイノシシが話題になると思うので今日はイノシシの話題をとりあげます。そして一昨日行った向麻山の石仏も絡めてのお話です。

 各年に十二支の生き物を当てはめるのは皆さんもご存知のように大陸中国の古代からの風習からきている。それを古代日本が取り入れ今も伝統として続いているわけである。大陸中国の古代にいた身近な動物を取り入れたとされている(龍のみは風、水、嵐などを擬人化したものとされる)。しかし古代日本にその十二支の風習を取り入れたとき日本にいた身近な動物からはずれている。十二支のうち、牛、虎、馬、羊はいずれも大陸から渡ってきたもので日本固有種ではない。それ以外のネズミ、ウサギ、ヘビ、サル、トリ、イヌ、イノシシの7種の動物が日本固有のものである。(イヌについてそもそも論はあるが少なくとも縄文時代からいた。またイヌと交配可能なニホンオオカミは当然固有種)

 しかし毎年の初め干支の動物としてテレビなどに引っ張り出される動物を見ていると上記の7種の動物であっても固有種でないものが多くなっている。ネズミは海外渡来の二十日ネズミ、ウサギも飼育種は外来、イヌも洋犬カメだったりする。トリも雉を出しゃぁいいがこれがインコだったりする、ヘビも見栄えのいいニシキヘビで代表したりする。そうなるとテレビ出演する干支の動物でホントに日本の固有種が出てくるのはわずか二例、ニホンザルとイノシシしかいないことになる。

 もっとも日本以外の東洋一般(中華圏、ヴェトナム、タイ・・)ではイノシシ年なんどはない。すべてブタ年となる。これが日本以外の世界標準である。日本も世界標準に合わせてブタ年にすれば、テレビでは 「はい、今年はブゥ~ちゃんの年ですよ~」とかいってこれまた海外渡来種である白ブタなんどが出てきて日本古来の種はほぼ絶滅しかねない。しかしうれしいことに日本ではまずそうなることはありない。あなたの生まれ年はと聞かれ「ブタ年です」なんどと答えることは死んでも嫌な女性がいるでしょうからね。「イノシシ年があるのにあえてブタ年になんかにしとうないわ、何が世界標準に合わせろじゃ、この馬鹿タレ!」が結論です。日本では太古から身近にいたイノシシ、古代に十二支が入ってきてもブタ年にもならなかったのはイノシシさんがいてくれたおかげです。ブタ年にならんでよかったと思っているあなた、イノシシに感謝ですね。

 さて、「あたいブタ年じょぉ~」というのをその存在で身をもって阻止してくれたイノシシさん、野生ながら身近過ぎてよく出没して世間の話題になりますね。ベヒィ~、ベヒィ~、と鼻を鳴らして走り回っているイメジですがいわゆる猪突猛進で鋭い牙と歯をもって突っかかってくるため、ぶち当たられたり襲われたりすることもあるようで、また農作物を荒らし(喰う)たりするため、農地、住宅地に現れたら完全な害獣扱いです。確かに大けがをさせられたり、せっかく作った農作物を喰い荒れされたりしたら憎いですよね。害獣扱いは大昔もおなじで、仮名手本忠臣蔵の五段目じゃないけれど江戸時代から害獣として駆除するため農民も鉄砲が許されたりしてますからね。

 でもねぇ~、直接被害を受けてないものがはたから見て言うのも何なんですが、そんなにワルモンの凶悪獣には見えない、いや思いたくないというほうが正しいかな。イノシシからみりゃぁ、イノシシが人に被害を与える何百倍もの害を人から被っている。イノシシが人に害を与えてもまずケガで死人なんか出ることはないでしょうが、イノシシが人から与えられる害は「殺」のみ、大昔から狩られ殺される野生動物のイの一番(なるほどそれでイ(亥)の一番というんか?)はイノシシであった、まあ、肉もおいしいし、昔の人はイノシシをなぜか「山クジラ」とかいって四足の獣肉禁止の除外動物にしたので、冬などに精が付くものとして鍋にして盛んに喰った。直接害を受けたイノシシではなくても江戸時代からイノシシは鉄砲で撃たれて殺され、人の胃袋に入った。こうなるとこの点ではイノシシは人に薬食いとして肉を供給する益獣である。また今はすっかり廃れてちょうど同じ時期にある西洋のハロウィンにとってかわられたが昔は「お亥(い)の子」という祭りがあった(子供が戸別の家を訪問し菓子をもらうというのまでハロウィンと似ている)これはイノシシ(亥)の多産を農作物の豊饒になぞらえ亥(い)の子と名付けたといわれている。昔の人もそんなに凶悪な獣とは見ていなかったのである。

 亥(い)の子は多産豊饒のシンボルとなりうる。その通りでイノシシはブタの仲間だけあって一腹に10匹以上の子を産む。全部育て切ればイノシシは増えすぎて困るが、たくさん産むのが原因か結果かイノシシの子育て上手くない。10匹以上生まれて、親イノシシについてトットコトットコとうり坊が列を作って親の後を進んでいても、そのうち少なくなり親離れするまでに2~3匹くらいになってしまう。イノシシは後ろを振り返らないので猪突猛進で走り、それにうり坊がついていけず、崖から転落したり、谷川に流されてしまっていなくなるそうだ。そういえば台風の後、佐古の山際を歩いていて、出水で普段は枯れた谷川に水があふれていた。ふと見るとうり坊が流されている。もがいてもいないからすでに死んでいるのだろう。可愛らしい姿だったのでかわいそうだったのを覚えている。このイノシシの子の「可愛いらしさ」はただものではない。ちょっと見てみよう。
 ホントに可愛い。イノシシの子は体毛に縦じまが入っていてそのラグビーボールのような形と相まって瓜に似ているため「うり坊」とも呼ばれる。ブタの子はどこまでいってもブタの子としか呼ばれないがイノシシの子はうり坊と呼ばれる、可愛らしさも手伝ってこの「うり坊」や、は人気がある。そんなこんなでイノシシは子供の時は格別、また成獣となって小憎らしくなってもそんなにワルとは思われていなかった。

 数日前の産経新聞にこんな記事が載っていた。

 『来年の干支「亥(い)」(イノシシ)に乗った仏像「摩利支天」が四国霊場85番札所の八栗寺(高松市牟礼町)で見つかり、新年1~3日に一般公開される。摩利支天像は木製で、高さは15センチほど。江戸時代中期以降に京都の仏師、赤尾右京が制作したとみられている。3つの顔と6つの手を持つ三面六臂(さんめんろっぴ)で、手に刀や弓などの武器を握り、憤怒の表情で勇ましくイノシシにまたがっている。』

 下がその見つかった「摩利支天」像である。
 確かにイノシシに載っている。イノシシは神さん仏さんを乗っけているのである。これを見てもイノシシが凶悪な獣とは思われなかったことがわかる。神仏のお手伝いやから凶悪と思われるはずがない。ちなみに神さん仏さんが乗る動物は白象が文殊菩薩を乗せているのは有名だが、ほかに孔雀(孔雀明王)、水牛(大威徳明王)、獅子は文殊菩薩、ガチョウもいる(梵天)。八栗寺で見つかった上図のイノシシに乗っている摩利支天さんは勇ましく元気な金太郎のような少年である。そして手には引き絞った弓、別の手には矢を持っている。こんな姿なのは「摩利支天」が武芸の神様だと聞けばなるほどと納得する。八栗寺は徳島からも近く、お聖天さんとして崇めお参りする人が多い。この武芸の神様「摩利支天」が八栗寺で見つかり、新春の開帳でここ徳島から初詣に行く人も増えそうである。特に大学高校の弓道部の子ぉら、はかま姿でびしっと決めて弓もってお参りしたらご利益あって上達しそう。

 この記事を読むまでイノシシにまたがった神仏があるなどということは知らなかった。ましてやそれが「摩利支天」さんだということも。それをしって、ハタと思い当たることがある。それは8年前、向麻山の山中でイノシシを踏みつけたように見える廃れた石仏をみて、これはいったいどんな神仏やろ、と疑問を抱いたことがあった。その時のブログがこれです(ここクリック)。
 その時は、これ、イノシシの害よけの石仏かと思っていた。圧伏しているように足の下にイノシシがいるからだ。そして御本体はお不動さんかなとも。でもイノシシに乗った「摩利支天」という仏さんがいるんやったらもしかしてあの石仏は「摩利支天」かもしれない。

 こりゃあ、もう一度確かめにあの石仏を見に行かにゃあかんな、と思い一昨日向麻山にその石仏を見に行った。

 わかりにくいが右足の下にイノシシがいる。イノシシと一緒の神仏であるとすると「摩利支天」さんの可能性がある。一見カエルとも見違えるが小さな可愛いしっぽがあるし、ケモノのイノシシに違いない。
 ほかに何かこの石仏を知る手掛かりはないかと台座を見る。建立した人々の名前、そして石工の名前、年号は明治13年と刻んである。140年も昔だ。でもこの石仏がなんであるかは刻されてはいない。
 石仏の姿に何か手掛かりはないかとよく見ると左手に持っているのは矢のようだ、矢羽が見える。そして右手はとみると落ちるかとれるかしてしまっているが弓を持っている手つきである。作った時は弓があったのだろう。
 八栗寺の「摩利支天」と比べると共通しているのはイノシシと矢(そしておそらく弓も)だが突っ込みを入れるとそもそも「摩利支天」さんは3つの顔と6つの手を持つ三面六臂じゃないのか、それに向麻山の石仏の右手には弓を持っていると推理しているが弓は八栗寺のように左手に持つものじゃないかと。しかし「摩利支天」さんは必ずしも三面六臂ではない。一つの顔、二の腕の「摩利支天」さんもいる。下がその摩利支天さんである。これを見ると弓は右手に持っている。引き絞って矢を放つ準備ではなく単に手に持っているなら別に右だろうが左だろうがいいわけである。この「摩利支天」さんを特徴づけているのは「イノシシ」と弓矢である。
 兵庫県香美町法雲寺の摩利支天さん
 そう考えるとこの向麻山の石仏さん、「摩利支天」さんの可能性が高い。
 イノシシ年の初詣にイノシシにまたがった摩利支天さんの初御開帳行かれる方は下の八栗寺の公式ウェブサイトをクリックし道順などを確かめてください。

0 件のコメント: