2011年9月8日木曜日

一所懸命 

 民族を農耕民族と遊牧民族に分けたら日本人は典型的な「農耕民族」になるだろうと思う。土地に対する執着が強く、強固な定住生活を営むのが生活の基本である。遊牧民族はその反対と見ればよい、つまり土地に対する執着が弱く、放浪生活が基本である。

 もっとも同じ農耕民の日本人といっても、歴史上日本人の大部分が農民ではあったが、一部、少数派だが、土地に執着のない(というか身分的に土地を持てなかったという方が正しいかもしれない)、放浪生活を営む者もいた。ヨーロッパ中世のジプシーのような存在である。
 日本中世史においては、傀儡、白拍子、遊び女、巡礼僧、また名称は定かではないが「暴力的なアウトロー」(散所、石礫打ち、博打、またいわゆる悪党もこの中に入るかもしれない)などと呼ばれるものである。

 両者は緊張状態になることもあるが、普通は平和的な交流を続けていた。全人口に対し土地に執着する農民が大多数であり、放浪の民は少数者として農民のような定住者が担えない役割・仕事を引き受けていた。
 
 さて、その定住性の強い日本人がいつの頃かわからないはるか昔、西からやってきた。
 とどのつまりが「日本半島」(この時代まだ大陸とつながっていたようだ)、これよりむこうは太平洋が邪魔をして行けない。
 そのうちに海面が上昇し、とうとう列島というか孤島になってしまった。

 狭いところにひしめき合い、農地を作らねばならない。
 当時は、大河川の平野部は湧水地帯でとても農地にはできない。平野でも微高地や中小河川の平野で面積は限られていた。

 まあ先着順か強いもの順かわからぬが便利なところから「自分の農地」となる。ところが牧場のような土地と違い、水田は
 「ここは自分が、見っけ!」
 といって囲い込まれてそれで終わりというわけにはいかない。

 開墾をし、水を張れるように水平にし、鋤き返し、水が流れないよう畦を作り、水路を作らねばならぬ。
 それこそ死にもの狂いで働かなければならない。また、せっかく作った水田を奪うものがいるかもしれない。奪われぬように自力救済で武装するか、またはより有力者に一定率の収穫を差出、庇護してもらうかしなければならない。
 血と汗を流してようやく自分の農地となる。

 それゆえに土地に対する執着は、命がけのものがある。中世、このように土地に命を懸けるのを

 「一所懸命」(一生懸命ではない)という。

 これは山奥に土地を求めた人でも同じである。山を開墾し、猫の額のような「棚田」や畑を作った人はその苦労が多い分より一層「一所懸命」となる。

 その「一所懸命」さは、多少の風水害で土地に被害が出ようと弱まることはない。

 しかし、1889年・明治22年、(122年前)、紀伊半島の山奥、十津川村を襲った風水害は未曽有の被害、荒廃をもたらした。この時の水害で千年以上鎮座していた熊野本宮大社は移転を余儀なくされた。
 この土地での一所懸命が不可能となった。土地に強い執着を持っていたとはいえ、生きるために部落の大多数は新天地を求めて北海道へ集団移住を決意する。新しい街を「新十津川」となづけた。

 当時の石狩川流域の樺戸郡は未開の原野、開拓・開墾の農民を必要としていた。
 しかし、故郷の土地に執着があり、その土地で一所懸命なのが当時の人である。だれが好き好んで見知らぬ原野に移住しようか。
 新政府は集まらぬ開墾の農民はあきらめて、敗残兵や罪人を強制的に送り込む。
 開墾に従事させられた罪人は驚くべき死亡率の高さだったと聞く。

 そんなところへ移住を決意させたほど明治22年の風水害は甚大であったのだろう。

 そして今、この同じ十津川で台風の大きな被害、昔の被害に匹敵するほどであるという。風水害は同じところに集中する。紀伊半島南部は雨がきわめて多い。これは仕方ない。
 復旧は大切であるが、被害が集中するところに「一所懸命」で本当に命を懸けるのもどうだろう、考えた方がいい。
 平成の大移住を検討してもいいのではないか。
 
上に関連して、下は原野開拓の使い捨ての罪人が入れられた刑務所で新十津川がある同じ樺戸郡にある。クリックで拡大すると縦書きの表札が見える。7年前の北海道旅行で撮った写真
 ちょっと古いが映画「北の蛍」の舞台となったところ。
 季節は6月の終わりだが四国とは2か月季節が遅れている。この横に白い藤が白樺に絡まって咲いていた。四国では松の緑に紫の藤が絡むのがなかなかいいが、北海道もさすが白に白、いいねぇ、「白い世界・白い恋人」、あれ、ちょっと違うか!
 でもこれ見てください。ドイツ語のように名詞に性を与えるとしたら、白樺は男、白藤は女。アチラの白樺、根元から女藤にグッと巻きつかれ、青息吐息、それにひきかえ、締め付け絡んだ藤は見るも見事な美しい藤波、亭主死にかけ女房は美々しく咲き誇るってか!こら、ちょっとは控えよ!
 道には狐がいてトコトコ歩いていた。なんじゃ、この貧相で愛想のない狐は、やっぱり小松島のタヌキが可愛げがあるわ
今日から新しいインターフェイスとやらを使ってブログを作りました

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 「一生懸命頑張って努力する」っていう言葉、

Unknown さんのコメント...

あまりいい言葉に聞こえなくなりまぢた。ひとりサド・マゾみたいでいやです。(((^^;)

yamasan さんのコメント...

 昨日の昼から前の訓練生に会う予定でしたが、体調がすぐれないということで没になりました。
 それで昼から曼珠沙華が咲いていないかと探しにいきましたがまだ咲いてませんでした。

 そうですね、心理学の知見でも、困った人に、「がんばれ」とか「一生懸命にやれ」とは言わない方がいいのがわかっていますね。