2011年3月10日木曜日

徳島城公園で青春を見る

 今日お昼に徳島城公園にいたら袴姿のレトロな女学生と黒スーツ姿の若い男が群れをなして歩いている。
 おお、どこかで、卒業式か。と思い遠慮なく、中の一人の娘さんに、矢絣の着物に袴の格好に合わせるように言葉を改め、

 「も~し、も~し。おじょちゅう。ちとものをお尋ね申す。卒爾ながら、いずこの学校の卒業式でござろうか。お教え願いたい。」

 というつもりだったが、中身はモダンギャルなので普通に聞きました。AN学園とのことでした。

 「いいねえ~。わかいしは。」

 春の素晴らしい陽光の中、ひかりかがやく若人。
 就職率が抜群の実績を誇っていると常々宣伝している専門学校だから、みんな、もうすでに就職もきまっているのだろう。希望に胸を膨らませ卒業式に臨んだのだろう。

 もう一度、

 「いいねえ~、若いってすばらしいことだ。卒業式のあとこのように群れて歩いているのをみると、こっちまでなにかしら幸せな気分になってくる。」

 自分が年老いたのを託つのではありませんし、わかいしが羨ましいわけでもありません。人間の讃歌として自然にこのような感情が湧いてきます。
 
 前にもブログに書いたかもしれませんが、ヒトってほんとにすばらしい。成長しきるのに20年もかけられるヒト、精神的な成長はその上まだ数年続きます。こんなに長い成長の時間を与えてくれた神様に感謝したくなります。他の生き物では稀有なこのなが~い期間。私は神が人を愛するゆえの恩寵だと思っています。
 我々は「青春時代」と呼んでいます。
 今日の彼ら、青春時代の真っただ中です。わたしが素晴らしいと思う以上に彼らは自分のことを素晴らしいとおもっているでしょうか。それは過ぎ去ってみなければわからないかもしれません。
 
 「輝くものそれ自体は、自分の輝きは案外わからないものだ。しかし、外部からみてみればいかに輝いているかわかるものである。」

 私にも自分なりの青春時代があったことを思い浮かべ、彼らのこれからを祝福する気持ちで眺めていました。

 そういえば、ずっと昔、だれか忘れましたが、詩人が

 「私が神様だったら、青春時代を人生の最後に持ってくるのに。」

 といったそうですが、いかにも美を愛する詩人の言葉ですね。しかし、神様はまえに言ったようにヒトに充分な恩寵を垂れています。人生最後の老後を青春時代に置き換えるというのは、あまりに欲深、青春で人生を締めくくるというのは、ヒトが天使や神にしてくれというのに等しいことです。

 今のやまさん、老醜が兆しています。病も持っています。多くの恥もかきました。生きるのにも次第に息切れをするようになりました。この先、糞尿まみれで動けなくなるかもしれません。
 でも、そうあるからこそ、死を迎え、受け入れられる。
 これ、青春時代が人生の最後にあったら、やまさん、死んでも死にきれませんわ。絶対、死ねん!

 暗くなって徳島駅前を通ったら、ストリートミュージシャンが歩道で歌ってました。いつも私の知らない歌だけど今日は違っていました。

 いつか行った映画がまたくる~ 授業を抜け出して二人で出かけた

 就職が決まって 髪を切ってきたときに もう若くないさと
 君に言い訳したね~

 過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる 
 君も見るだろうか いちご白書を~

 私が24歳、青春時代が終わったときの歌でした。

2 件のコメント:

koumei さんのコメント...

日々お疲れ様です。
ほんと、3月って別れの季節で切なくなりますね。
別れって言う言葉より、旅立ちの時ですかね。

てるゆき さんのコメント...

まだまだ、寒いので、あまり無理をされませんように!