2012年10月31日水曜日

旅に死す

 私は長崎、東京へ旅をしたが、鈍行とはいえ列車である。そして長崎、東京は別々の旅行で、長崎から帰ると我が家で2週間以上休養し、それから東京へ出発した。

 これが途切れのない続いた旅行だったらどうだろう。長崎から直接東京まで行くとすると、これはかなりきつい。そしてさらに列車などを使わず、長崎から東京まで歩いていくとしたら・・・・・・・

 私が実行するとなると、これはかなりの確率でぶっ倒れ、悪くするとそのままお陀仏かもしれない。でも、倒れずに歩けたとすると、何日くらいかかるだろう。

 江戸時代、東海道を江戸から京都まで、壮健な成人男子で普通、15日くらいかけて歩いたから、歩いて長崎~東京(江戸)までだと一か月~二か月近くかかったのではないだろうか。

 まあ、江戸時代は基本は「歩き」だから江戸長崎の旅はみんな歩いた。この時代の日本人なら旅といえばてくてく歩き、いくら遠くても国内ならどこまでも行った。

 しかし、ヨーロッパ人ならどうだろう。この時代、ヨーロッパでは大型馬車、駅馬車が発達し、長距離旅行には利用されていた。もし、江戸時代、ヨーロッパ人がわが日本国内を旅行したら、さぞやきつかろうと思いますよね。

 鎖国だからそんなことはありえないとお思いでしょうが、江戸時代にあってヨーロッパ人が堂々と旅をする機会があったのです。

 それが長崎出島の商館長(カピタン)の江戸参府旅行です。1640年代にはじまり1790年までは毎年、以後は4年に一回、大名行列の格式で長崎から江戸城まで往復したのです。この参府旅行は大勢の日本人を伴い行列して江戸に向かいました。カピタンは長ですから大名と同じで駕籠ですが、ヨーロッパ人にはさぞや窮屈だったろうと思います。

 そんなこともあってか1798年の江戸参府の帰り、掛川でオランダカピタンのヘンミーが病のため亡くなってしまいました。遺体はこの町の天然寺に葬られ、墓を作りました。仏式で供養が行われ、戒名までつけられました。

 江戸時代、旅先で死ぬ人はかなりな数に上ったと思われます。しかし、鎖国時代の日本でヨーロッパ人が旅をしていて亡くなるというのは極めてまれなケースです。

 今回の私の旅行で、その掛川のオランダカピタンのヘンミーの墓に参り、合掌してきました。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 いやぁぁぁ~、旅では死にたくないですね。
やはり自宅か、どこかゆったりできるところで、一切の思考もなく満ち足りた意識の中で、肉体を離れたいです。(^o^)/

yamasan さんのコメント...

こんな死に方がいい、といって実現した人はどれくらいいるのだろう。
 西行、芭蕉なんかは希望がかなったんじゃないかな。

 昔から畳の上で大往生、がいいといわれます。旅に死す、なんて言葉はちょっとカッコいいが、実態は野垂れ死にのことが多いですよ。

 このヘンミー、調べると密貿易が幕府にばれそうになって自殺したとか密貿易相手の薩摩藩に毒殺されたという説があるそうです。