2011年5月14日土曜日

狸のいた町 そのⅡ

 蔵本駅近くの田宮川沿いの辺りは、「油浜」といった。いまはコンクリの護岸でガチガチに固められて想像できないが、大昔は川沿いに柳が植えられ、この油浜というあたりは、当時の(自動車などもちろんない、せいぜい陸上では大八車)唯一といってよい大量運搬手段である川船が接岸し、大量の荷を陸揚げした浜であった。
 この油浜にいた「まつひらさん」という狸は子供大好きの、ずいぶん愛嬌のある可愛い狸であったようだ。
 
 しかし、狸は愛嬌のある可愛い顔ばかりを見せるわけではない。狸は時として、人をだましたり、危害を加える恐ろしい存在でもあった。『かちかち山』では、ラスコリニコフのように老婆殺しを犯す。
 そのあとがすごい!婆さんを文字通りバラし、その肉で「婆汁」を囲炉裏の鍋でつくる。婆さんに化け、外から帰ってきた爺さんに「婆汁」を食べさせる。
 ホラー映画顔負けの展開となる。

 しかし、これは狸の立場に立って考えてみると同情の余地がないわけではない。元々この狸は爺さんによって捕えられ狸汁にされる運命であった。だから「婆汁」は、まあ、いわば仕返しである。
 ただ、いったんは婆さんに助けられながら、婆さんを殴り殺したのは情状酌量の余地はない。

 非道な狸であるが、もう少し頭が良ければこんな残虐な罪を犯さなかったのではないかとおもわれる。
 だいたい狸は狐と比べるとすこぶる頭が悪いように描かれる。もし、これが狐なら婆さんから助けられた時点で、一応、表面上は感謝し、あとで恩返しのようなホンの形ばかりのそぶりを見せれば、老夫婦は「狐は改心していい狐になったんだ。」と、コロッとだまされるに違いない。結果的により有利な状況をもたらしたり、利益にもつながるだろう。

 狐も人を馬鹿にし、だますが、このように悪知恵を使い、だましたと人に悟らせず、だますことが、もっともよい方法であることを知っている。

 狸はそのような底意地の悪い知能犯ではない。直情径行で欲望に我慢できないのである。そこに狸の短所があり、長所もある。
 だから、単純粗暴な狸であれば「かちかち山の狸」になるし、単純で子供好き、人好きの狸ならば「まつひらさんの狸」になるのである。
 常に単純さが付きまとう。

 狸が人を化かさなくなって久しいが、狸は今でも我々の住む町にいる。雑食性で、というか、残飯でもなんでも食べるから環境の変化には強い。
 私の家から4キロ離れた山のふもとに温泉がある。夜、大浴場のガラス展望の下にパンくずをおいてやると、家族だろうか3~4匹がぞろぞろあらわれ、パンを食べる姿が見られ、入浴客の目を楽しませてくれる。
 3年前入ったときは、下を見ると黒い物体がごそごそしていた。体形からは犬よりずんぐりむっくりしていて、手足も短いし細い。顔の輪郭からも狸とわかった。暗い中、目がピカリと光ったのを思い出す。

 狸の祠を見て、いろいろ考えながら再び蔵本駅に戻ると、駅舎の前に猫が4匹ゴロンと寝転がっている。近づいても知らん顔。
 ふるい町並みには猫も似合う。
一匹だけ私を見上げている。
そういえば川島の駅長猫はどなんしよんかいな。

 

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この4匹よくもまあ色違いで集まったものだなぁと感心しました。(^.^)

yamasan さんのコメント...

確かに猫の愚連隊かも、

 「こやつ、ガンをとばしてる」