2011年2月18日金曜日

駅 STATION その2

 昨日とうってかわって今日は風が冷たい。
 徳島へ行くついでに駅長にゃんこ(私が勝手に名付けているだけ)のご機嫌をうかがうと、きょうは寒さの為か待合室の座蒲団の上で猫だんご状態。手でちょんちょんと突っつくが 、胡散臭げに顔をちょっと上げただけで、すぐにまた丸まってしまった。
 この猫、聞くところによるとこの駅で乗降する女子高校生がエサなどの世話をしているとのことである。
 
 今はさびれたような無人駅であるが、徳島線の川島駅の歴史を調べて驚いた。なんと開通、そして駅の創業は19世紀に遡るのである。前々世紀である。
 
 19世紀は鉄道の世紀と呼ばれている。鉄道を生んだ英国で本格的な鉄道が運営され始めるのはこの世紀の30年代、アメリカ大陸横断、シベリア鉄道開通もこの同じ世紀である。
 日本最初の鉄道が1872年、新橋~横浜である。
 そして徳島~川島の開通営業が1899年。この駅の意外な古さに感動する。

 もちろん創業当時のおそらく木造だった駅舎が法隆寺のように残っていて、歴史文化財としてあるわけではないが、19,20、21世紀と3世紀にわたる駅の変遷を思うとき、目には見えぬが歴史の重みを感じる。

 徳島駅で降りるとコンコースで写真の展示をしている。見てみると40年も前に廃線になった鍛冶屋原線の列車・駅の風景、懐かしく写真におさめる。

 私が二十歳の時は、まだこの徳島駅から鍛冶屋原行が出発していた。この廃止にはなったが鍛冶屋原線、吉野川の北岸を南岸にある徳島線と平行に牛島駅の北の方まで走っていたのである。この線が計画されたとき、もしかすると北岸を脇町や三好の方までのばす計画があったのかもしれない。今となっては歴史のはるかかなたに消えた夢の計画である。
今はない鍛冶屋原駅
ここから鴨島までの国鉄バスがあった。この国鉄バス、ツバメのマーク。この時代、国鉄は野球チームを持っていた、今もスワローズにその名残がある。





昭和47年1月15日、廃止の記念セレモニー。












今残っている駅も今世紀中にはなくなるかもしれませんね。もっと皆さんが鉄道を利用してくれれば別ですが。 

1 件のコメント:

てるゆき さんのコメント...

徳島に毎日、来られているんですか?求人ありました?
川島駅を使われているんですね。

JRも、お役所的ではなく、お客様目線で、経営してほしいですね。