2011年2月21日月曜日

それにつけてもインターネットのすごさよ

 今、アラブ諸国では、革命といってもいいような政治的変革が起こり、あるいは起こりつつありますね。エジプトでは数十年にわたる政権が倒れ、今、リビア、バーレーン、イエメン、イランでは大規模な反政府デモないし暴動が起こっています。これが政権交代をもたらすかは、まだわかりませんが、この地域に広がっています。

 この地域では、いままで強権的に反政府活動が抑えられてきたようだが、インターネットの普及に伴い、情報統制が崩れてきたのが大きな一因と考えられているようです。
 
 昨夜午後9時の、NHK特集で、チュニジアでなぜ大規模デモが起こり、結果として政権を倒したか。について分析してました。
 政府の統制の目を潜り抜けるものとして、インターネットの「フェイスブック」をあげていました。プロバイダーを通す前に暗号化し、また、仲間内で、情報の共有を限定できるそうで、いわばお上の目を逃れつつ、大規模に情報が広がったのだそうである。
 そして、大衆に火をつけたのは、フェイスブックへの動画の投稿であったといっていた。つい最近、日本でもユーチューブの動画投稿サイトの漁船衝突動画で、日本の政権が揺らいだのも記憶にあたらしいところで、政府に都合の悪い「動画」の破壊力の強さはご存じのとおり。
 チュニジアでの理不尽な政府による弾圧への反発は「痛ましい犠牲者の動画」によって人々に広まり、澎湃として起こった反政府運動によって、政権が倒れたのであった。

 インターネットの動画は、文字や言葉による情報よりも圧倒的な力を見せたのでした。

 アラブ諸国のちょっとした革命の嵐とでも言っていいような動きは、広まりつつあるような気がします。
 このような動きは、民主国家に生まれ変わるとき経なければならないプロセスなのでしょうか。
 ヨーロッパ諸国は19世紀前半に革命や動乱の嵐が起こり、日本は1853年から幕末の動乱が始まり、1868年明治維新を迎えました。
 このような古い時代であっても情報は人々を動かす元となったのは、今日のアラブ諸国と違いはありません。ただ、情報媒体は、新聞(幕末では瓦版)、ビラ、パンフレット、本、口コミ、アジ演説、などでした。
 当時、動乱の嵐はゆっくりとだが着実に燃え広がりました。そして、19世紀末には欧州・日本では、議会が開かれ、立憲政治体制に移行し、民主主義のステップを踏み始めます。かなりの時間をかけての変革でした。

 しかし、動画も含め、あらゆる情報を多量に瞬時にそして大勢に送れるインターネットの発達は、変革の時間幅をも大きく変えました。
 アラブ諸国のあれよあれよという間の変革の速さに驚きを禁じえません。日・欧が数十年かけてやってきた民主化への動きを数か月、いや、数週間でやりそうな勢いです。インターネットの時代とはこのようなものなのでしょうか。

 日本にいれば多様な情報媒体があり、また、良質の情報が任意に得られます。情報を統制されるということはありません。しかし、国の中には情報を統制し、上から一方的に押し付ける情報しかない国もあります。
 そんな中、インターネットの普及はそれらの国に福音をもたらすことになります。世界的につながり、国の枠を越えて情報は広がり、結果、統制をかいくぐります。また、自らも発信者になることも容易です。革命的変革をもたらす情報の媒体としてまことにふさわしいものです。

 パソコンを購入しインターネットをひいて半年、少しずつインターネットというものの使い方がわかってきた今日この頃です。そして、今、中東の革命的変革にインターネットが大きな役割を担っているということを聞くにつけ、インターネットが社会にもたらした影響の大きさを思わずにはいられません。インターネットがなんたるか知らずに60歳近くまで過ごした私ですが、中東でのインターネットが担った変革の嵐のニュースなどを見ていると、インターネットのもたらす影響を実地に勉強している気がします。 
 逆にいうと、日本のような自由な情報社会より、これらの統制された国の方がインターネットの威力がより強いのではないでしょうか。

 これらの国が革命的変革に向けてエネルギーが強いのには理由があります。それは若年人口が日欧と比べて極端に多いことであります。チュニジアなんかは20歳以下の人口が50%以上といわれています。老人が多い国より若者が多い国の方が血の気が多いのは当たり前ですよね。

2 件のコメント:

てるゆき さんのコメント...

日本人は大人しいですね。日本の今の、年齢別人口は、国の行く末を写していますね。

yamasan さんのコメント...

>>としさんへ
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