2012年11月17日土曜日

中世を歩く 勝瑞城跡

 今の日本の状況どころではない、その何倍もの国家的混乱、血を流す内乱が勃発。家の跡継ぎは決まらず、後継者が血肉の争い。自分より力も富も持っている嫁はんとは別居状態。

 一応、自分が政治のトップだから、毎日、処理しきれない問題が持ち込まれ、山積み状態。しかし、ほとんど対処できず、もうずっと昔から、無能のトップと、烙印をおされている。

 中世後期こんな男が日本にいた。その名を足利義政、室町幕府八代将軍である。彼は現実世界には無能の人であったが、文化、精神世界に生きた。
 餓死者・戦死者が満ちた洛中の死臭も気にならず、民の怨嗟の声も聞かず、ひたすら精神世界に生き、文化の創造を楽しんだ。

 今、こんな男に興味が湧いてきた。こんないやな俗世、雑事、家庭内のごたごたに囲まれたら、逃避したいのはわかる、わかるが、本当に心から精神世界に遊び、何か文化と呼べるモノにに昇華させる、などという芸当は普通はできまい。

 しかし彼はそれをやった。

 「自分もそうしたいと願う」

 昨日、人っ子一人いない公園の東屋でそんなことを考えた。
 この公園の東屋、こんなところである。

 むこうに何か建物が見えらますね。あれはなんだと思います?
 堀の手前から撮影してみた。

 ここまで近づいてこのように池のようになった掘割から眺めると、すぐある有名な中世の建物が連想されます。
 これが京都にあるオリジナルです。

慈照寺、別名銀閣寺。もちろん細部は違いますが、この公園の設計者もこのことを念頭に設計したのではないでしょうか。










 もっと近くで撮影しました。
 
 銀閣寺を建てたのは上記の男、将軍義政です。この場所、勝瑞城跡は彼の有力被官(管領)、まあ筆頭家来です、の細川氏のこの時代の根拠地だったのです。義政と細川そしてその居城(勝瑞城)、密接なつながりがあるのです

 そんな関連からこの史跡公園を整備するにあたってこのような銀閣寺様式を真似た建物を建てたのでしょう。

 話は前後しますが、ここ徳島の藍住の勝瑞城跡の東屋に坐って、あの男、義政について考えたのはこのような足利時代の様式を思い出させるモノを見たからなのです。

 動画も撮影しました。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 足利義政さん、さすがですね!
後継者争いなどというくだらない事に惑わされずに、文化人としての道を歩んだ素晴らしい人に思えます。権力とお金が欲しい人は、その人たちに任せておけばいいので、自分はもっぱら今ある地位を利用して好きなことをする。素晴らしい~、ブラボー、ワンダフルです。ヽ(^。^)ノ

yamasan さんのコメント...

いつもコメントありがとうございます。最近、瞑想に入ってますか。

 この時代の文化は東山文化というように呼ばれています。
 禅宗が広く信じられるようになります。これは一面、瞑想の宗教の趣を持っています。

 俗事に惑わされず、精神を集中し瞑想から悟りを得るものでしょう、

 他にも茶の湯、数人の掛け合いから一定の詩を作る「連歌」、作庭、これらは極めて高度な精神作用の要素である「象徴」を扱います。

 これらは説明するのが大変難しいものです。だから「幽玄枯淡」などと言われています。かなり奥深いものです。

 それらにのめり込んで行ったのが義政さんでしょうか。

 義政は権力も富も持った文化人でした。この対極にあり、富、権力を持たず、同じ時代の文化人であったのが一休さん(一休宗純)でした。

 私の立場から言って真似をするなら一休さんがいいかもしれませんね。