2012年4月5日木曜日

花のもとにてシリーズ その2 一面菜の花


 
 今日は風が少し強いが、昼には気温も上がり、まことによい春の快晴の日となった。平日にもかかわらず満開近くの桜の木の下には早くも花見客が繰りだしている。

 しかし、絢爛豪華に咲きそろうのは桜ばかりではない。こちらはピンクでなく、黄色の花が一面に咲いている。『菜の花』である。

 2時過ぎに家の近くの吉野川土手へ行った。強風が強まったり弱まったりしながら吹いているので、土手近くでは自転車を押しながら行く。

 遠くから見えていた明るい黄色の花と、近づくと明らかになってくる何とも言えぬ穏やかな黄緑の茎葉が、春の陽光のもと輝くように美しい。

 菜の花といってもこれは農業の栽培種ではない。実から有用な食用油が採れるものではなく野生の「からし菜」の一種であろう。土手において自生種に近い。
 菜の花は御存じのように「アブラナ科」で、みんなよく似ている。(若干色が違うものもあるが)そのため野生種も含め『菜の花』とよんで差し支えない。

 近寄ると菜の花の香りがする。バラや梅のような香水系の、その意味でいい匂いではないが、なつかしく心地よい、春の匂い!いやちがうなぁ~、

 「そうだ、腕白だった子どものときの野遊びの匂いだ!」

 できるだけ花を倒さないようにそっと入り、腰を下ろして、しばし感慨に耽る。

 強い風で蝶々も飛んでいないのかと思ったら、茎の高さより低く腰を下ろすと菜の花の密生した中にモンシロチョウが一羽、花にとまっていた。

 「そうか、人間にいろいろな感慨を湧かせる花の香りも、花にとっては昆虫を引き寄せる手段なんだ!」

 ポカンとして上空を見上げる。
 快晴だが、春である。青空といっても紗がかかったような色で、遠くの阿讃の山は濃い紫に霞んでいる。

 その時、ふと、昼の月は出ていないのかしらん。と思い天空を探し始めた。

 私は菜の花を思い浮かべるとき、いつも月といっしょの花を連想してしまう。
 その連想に大きく影響を与えたのが私の好きな詩歌(和歌、俳句、詩、歌謡など)であった。それは2つある。一つは文部省唱歌なので40歳以上の人は必ず歌ったことがある歌、『朧月夜』である。

 『菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端霞深し、春風そよ吹く空を見れば、夕月かかりてにおい淡し。』

 そしてもう一つは歌ほど有名ではないが蕪村の俳句

 『菜の花や 月は東に 日は西に』

 しかし、天空上、どこを探しても昼の月は見られなかった。家に帰ってから暦を見ると今日は満月に近く、月の出は夕方6時ころである。ちょっと残念だった。

 私から言わせると一面菜の花の素晴らしさは桜の満開に決して劣ることはないと思うのですが、なぜかこちらを鑑賞する人はググググ~~~っと少なくなる。
 桜は花の王。それに対しこちらは農業用、あるいは地味を肥やすために栽培する下賤な花、と、そう見られているんでしょうかね。

 もっとも一面菜の花、というように大規模栽培が始まったのは江戸期からですから、平安時代から愛でられた桜と比べると歴史も浅いですからね。

 なぜ江戸期から菜の花畑が多くなるのか?これはそう難しくない歴史問題ですから、このブログをお読みの皆様にクイズとして出しておきましょう。

 夕方、感度のいいカメラを持っているんだったら、満月に近い月が菜の花畑を上ってくる写真が撮れるんだろうけど、私のカメラでは無理でしょうね。
 明日も夕方、晴れていれば満月に近い月の出と菜の花畑の風景が見られます。
 皆さん、挑戦して、ブログにアップしませんか?

 おおっと!いけないけない!月と花が出たついでに、この歌を紹介しておきます。できたらこんな死に方をしたいと思うようなうっとりする歌です。
 作者はNHK大河でいまやってる「清盛」に出てくる西行です。

 『願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃』



追伸
 偉そうに歴史クイズなんか出して、自惚れが過ぎましたね。
 もったいぶらずに解答を書いておきます。では、この写真をご覧ください。

 「なんじゃ!これは?」
 これは夜の地球を人工衛星から撮った写真です。明るい光は火山の噴火なんか考えられませんから人工の灯りと思って間違いないです。

 これを見て何が言いたいかというと、これを見ると『文明度』(文化度といっていないことに注意してください文化で優劣をつけるつもりはありません)、がわかります。文明といっても西洋から始まる近代文明なんですけど。

 どの国も都市部はずいぶん明るいですね。国の中では日本が一番光り輝いてますね。ところがこの中に国ごとほとんど真っ暗という国がありますね。まあ、言わなくても一目瞭然です。

 近代の文明のバロメーターは「夜の明るさ」といってもいいでしょう。するとかの国は、まださしずめ中世か古代国家の段階でしょうか。エジプトのファラオのような絶対権力が一個人に集中してるからあながち冗談ではないですね。

 さてそこで、皆さんは夜の明るさになれてというか、当たり前のように感じてますが、電灯が普及するまでは、灯火が「あかり」だったのです。電灯のあかりはそれはたかだか19世紀末以降のものなのです。

 「灯火」(ロウソク、油芯を浸した燈明、松明等)だから、200年前の江戸時代も1000年前の中世古代もみんな暗かったんだろうと思いますね。
 それはそうなんだけれど、庶民の夜の生活は古代中世と江戸時代では大きく違ってきました。江戸時代以前は灯火はロウソクや油がいりますから、庶民にとってそれを使うことそのものが贅沢だったのです。だから、暗くなるとさっさと寝ました。

 「え!油なんかそんなに高かったの?」

 といわれますよね。この時代の油は食用も兼ねた油なんだけど、事実高価だったのです。原料は胡麻、あるいはエゴマ、だから高価な油は少量を量り売りしていたのです。
 一般庶民が毎晩、灯火に使えるほど安くもなく、第一、生産供給も少なかったのです。

 ところが江戸時代になって大変革が起こります。菜種が栽培されその種から搾った菜種油が多く出回るようになったのです。もちろん生産量の拡大に伴って価格も下がってきます。
 結果、庶民でも夜、油が気兼ねなく使えるようになりました。

 もちろん時代劇でおなじみの「行燈」で薄暗いですけど、これで、庶民も暗くなったら

 「ただ、寝るだけ!」

 という生活から解放されるようになったのです。今は当たり前になっている

 『夜の生活』

 が庶民にもできるようになりました。この意義は大きいです。
 夜なべ仕事だけでなく、夜の娯楽的な楽しみ、そして文字を読んだり、書いたりすることもできるようになりました。江戸の識字率の高さは、この夜の生活が灯火の普及によってできるようになったことが大きいのです。
 庶民が夜の文化を享受できるとは素晴らしいことですね。

 さあ、もうこれで解答が分かったでしょう。菜種油の生産が江戸期大きく伸びた結果が、この時代、どこにも見られる一面『菜の花』だったのです。それがやがて実を結び、その実を搾り取ったのが菜種油なのです。

2 件のコメント:

しんさま さんのコメント...

石油の前は菜種油が文明を創っていたんですね。「油は世界を制す」は今も変わらないような気がします。ねちねちした油臭い文明ですね(^_^.)

yamasan さんのコメント...

ソメイヨシノなんかは咲くだけ、それから見ると、これなどは花で楽しませてくれるわ、油は取れるわ、おまけにマメ科で根粒バクテリアがあって地味を肥やすわ、なんと一石三鳥ですぞ。