2023年3月2日木曜日

蛍のともしび、積む白雪

  昨日は県内の多くの高校で卒業式が行われた。そして今日2日も残りの高校で卒業式がありほとんどの県内高校での卒業式は終わる。昨日は徳島駅辺りで花束を持った高校生や、胸に花の飾りをさした高校生を見たから彼らは卒業生だったのだろう。

 今日のネットのローカルニュースで県内の卒業式のニュースを探したがほとんど取り上げられていなかった。その中で県内H高校の卒業式に卒業生だがもう野球選手のプロになり、社会人生活をしているT球団のM選手がキャンプ中だが出席したというニュースは卒業式関連として配信されていた。動画も貼り付けてあるのを見ると周りの卒業生に比べて背の高さや日焼けの色黒さもあるが、飛び抜けて社会人らしい立派な顔立ちをしている。とてもまだ18歳とは見えず、20代の、それももう家庭を持っていると言ってもいいほどの貫禄がある。

 私の18歳の頃は中学で就職する子も多く、また高校卒業とともに社会人の仲間入りする子も多かったが、最近は大半(高校によってはほとんど)が短大・各種学校も含め大学進学するようだ。そのためか信念を持ってプロを目指すH高校のM君なんかは特別立派に見えるのかも知れない。

 卒業式といえば、あの、ホロリとさせる「仰げば尊し」が定番の歌として歌われていたが、今はごく一部を除いてうたわれなくなった。歌詞が文語体であまりにも古くさく、また昨今の風潮から「仰げば尊し」~に続く~「我が師の恩」っうたって、伝統芸のおっ師匠はんと直弟子ならありかもしれんが、学校教育では、ちょっとそりゃ、封建的すぎる。だから歌われなくなったのも私としては納得している。しかしこの「仰げば尊し」の歌の良さ、まぁ価値といってもいいのか、それはかなりいいものをもっていた。このまま滅ぼすには惜しい歌である。

 面白いことに台湾の学校では今でも(もちろん台湾語の歌詞に変えて)この歌がやはり卒業式に歌われている。もおかなり昔だが評判の高い台湾の監督の映画『トントンの夏休み』という映画を見たが、学校の式典で流れてきたのは「仰げば尊し」のメロディであった。調べると今でも日帝時代の名残であるが台湾では嫌わずに綿々と歌い継がれているそうだ。学校教育が始まって日本は150年、台湾は130年になろうとしているが、これだけ古くなるとなにか学校の伝統も生まれ、受け継がれるものだが、日本ではこの歌も含め小学校唱歌も廃止され、歌に関しては伝統が消えたものが多いが、台湾には日本統治時代からの伝統が日本に代わって受け継がれているようだ。

 私の高校の卒業式では「仰げば尊し」は歌われた。あとから聞いた話だが、歌うことの賛否は当時からあったらしい。都会では学生運動が盛んになり、このような封建的な歌が問題になったのだろう。しかし、田舎だったからか、歌われた。結局、私は、小学校、中学校、そして高校とこの歌を歌い送り出された。

 当時、私は反体制的な考えはなくノンポリだった、しかしませた高校生なら左翼運動に共鳴したり、中には毛沢東語録の赤本なんかもって読みふけっているのもいた。その私が聞いても確かに歌の一番の歌詞「仰げば尊し~♪・・」などきくと、内心「なにが、仰げば尊し~我が師の恩じゃ、それほど教師の世話になっとらん」と反発したし、歌詞二番の「~♪身を立て名を挙げ、やよ、励めよ~♪」には、決して立身出世が悪いことでないことはわかっていつつも当時の私は「ふん、人にはいろんな生き方があるわ、なにも立身出世だけがいい人生とは限るまい」なんどと思ったものである。

 しかし一番、二番と歌い継ぐうち、この哀愁のあるメロディーに次第に感化されていく、各最後のフレーズに、♪今こそわかれめ~(フェルマータが入り、十分ここで間を取り)~いざ、さらば♪、は一、二、三番共通のフレーズで、さすがにここはほろりとした。そして三番まできて、♪~蛍のともしび、積む白雪~、忘るる間ぞなき、この歳月、で一挙に涙腺が崩壊した。一二番には当時の私としてはかなり反発を覚えるフレーズもあったが最後の三番の歌詞は、苦学した比喩的表現、いわゆる蛍雪の功を歌い、この歌詞には反発する要素など、私にもまた他の誰にもないだろう。またこの三番のこの歌詞の、蛍のともしび、とか白雪とかいう言葉は、詩的にも美しく、メロディーとあいまって、私以外にもあちこちで、すすり泣きが最高潮に達した。

 私の卒業式から半世紀以上経った。学校から「仰げば尊し」の歌は消えた。立身出世をあからさまに励ますような歌は歌われず、今は生徒の自主性に任せポップ調、ロック調、フォーク調もありとなり、個々の個性を大切にする歌詞が重んじられる。生徒手作りの卒業式次第も盛んだ。古くさい「仰げば尊し」などお呼びでない。


 古い卒業アルバムを夕べ、引っ張りだし、アルバムに載っているクラスの集合写真を眺めた。もう今更どうにも変えられぬ身で、余生も少ない。大昔歌った「仰げば尊し」の立身出世を励ます歌詞はむなしく響く。しかし三番の歌詞



朝夕慣れにし 学びの窓

蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)

忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月(としつき)

今こそ別れめ いざさらば

は、人は死ぬまで何かをずっと学ぶべきものである、そして学ぶことはやはり何歳であっても苦労をともなう、と思うときこのフレーズは少しは爺さんであっても励ましになるのではないか。

追伸

 このメロディーはかなり情緒に訴えかけるので、私はやはり昔学校音楽でならった「星の世界」のように、ゴスペル(キリスト宗教歌)からきているのかな、と思っていた。だが公式に昔は不詳と聞いていた。ところが最近(10年前)日本の学者が原曲が150年前のアメリカにあったことを突き止めたそうだ。宗教歌ではなく、当時の新作譜でやはりアメリカでも「惜別の歌」であったようだ。

さらに追伸(午後6時過ぎ)

 先ほどネットニュースでわがふるさとのO氏が亡くなったと知った。私よりも6歳も若い享年66歳で、これからさらに活動を・・と思っていたのではないか、それもかなわずに死亡、志半ばで倒れたということに、少しばかり衝撃を受けた。郷土の偉人、いや郷土の聖人?信不信はあるにしても、少なくとも我が郷土の「有名人」であったことは間違いない。小さい町で勉学に励み東京大学に進学したと言えば町内では神童扱いである。上の仰げば尊しの歌の関連で言えば「♪~名を挙げ~身を立て」には該当するだろう。彼の名を聞いて知らぬ人は全国的にも少なかろう。

 去年の七夕の夜、コロナ下で夏の花火も自粛が続いていたが、パンパンという音に二階からのぞくと花火が上がっていた。ちょうど大正池のあたりか?「なんだろう?七夕の花火なんぞ、聞いてない。それもあんなところで」 翌朝、人に聞いて知ったが、O氏の御生誕祭の花火とのこと、近年我が町ではO氏の御生誕の聖地ツァーもでき、このまま勢いを増せば、やがては奈良県の天理市のように町の名前も変わるのではないかと、ふと思ったりしたが、また御生誕記念の花火とは、すごいの一言。

 しかしこのニュース、なんか無常の風を感じるなぁ、教祖さまと慕われる人が志半ばで早死にして、アホぉげたことして、名も上げず、恥のかきっぱなしで、なんもせん人が結構長生きする(おもに私)。人生わからんもんやなぁ。

ご冥福をお祈りします

2 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

仰げば尊し 今は歌わないんですね。 時代変わりましたね。
K科学 O氏 66歳早いですね。 最後だけは平等ですね。

yamasan さんのコメント...

テルさんへ

そう、まさに死のみは平等に必ずやって来ますが、それまでの生き様がひとそれぞれ、残りの人生は自分が満足できるような生き方が出来ればいいですが、なかなかね。