2023年3月28日火曜日

いまさらゆうものなんだが

  こんだけアッチャコッチャの花見スポットをこれ見よがしに(といっても私のブログの読者なんどは平均5人ほど!)なんどかアップしたが、実のところ、花見などと称してあらたまって見たり、ゴッツい高級カメラでセミプロのように桜の写真を撮ったりするのは趣味ではない。まして花見の下で牛飲馬食とまではいわないが飲み食いの宴会などは嫌である。

 花見の風習は新しい、江戸時代中期以降、江戸の近郊にたくさんの桜が植えられ、江戸町民が遊山がてらに桜の下で弁当をひろげたり、あるいは飲んべぃの多い江戸っ子が桜を見ての飲酒を花見酒といったのが始まりであるらしい。

 日本古来からの伝統としては桜花の鑑賞は、その花期の短さ、風で散るそのはかなさを愛で、恋や人生をそれに託して和歌をつくることにあった。観桜には必ず「和歌」がともなったが、逆に桜を読み込んだ歌を作るのには必ずしも観桜は必要なかった(古くは花見などとは言わず観桜の宴とかいう言い方をした


 しかし近世以降、「花は桜木、人は武士」だのいって雄々しく、ぱっと咲いて、散り際が見事で、有終の美がある、などというように「桜」に特別な思い入れがされるようになる。

 行き着く先が、軍人としての本懐をとげることを桜に例えるようになった。ご存じだろうか、予科練の七つボタン(戦争後期には若年者の特攻航空兵の養成がなされた)は「桜と錨」、そして究極の特攻飛行機は「桜花」と名づけられた。こんな軍歌もあった、♪~咲いた花なら、散るのが桜、見事散りましょ国のため~♪同期の桜より

 敗戦により、桜と軍人の結びつきはたたれたように思えるが、桜と死生観は戦後も人々の心の琴線に触れ続けている。昭和32年に発売された島倉千代子の「東京だよおっかさん」、この歌の二番はほぼ禁句で公の放送局で歌われることはほとんどない。その二番

やさしかった兄さんが

田舎の話を聞きたいと 

桜の下で さぞかし待つだろ

おっかさん

あれが あれが 九段坂

あったら泣くでしょ 兄さんも

 これは死んでも、靖国にきたら逢える、といって戦死した子を持つ母の手をその妹が引いて靖国神社に詣でる心象風景を歌った歌である。

 今でも残る、あまりにも強い桜への思い入れ、それは私としては理解できるが、誰もかもが同調するような桜の特質としての「見事な美しさ」とそれと対になった「刹那の美・はかなさ」をあげるのは、私としては、強い酒を忌避するように、好きになれない。酒の酩酊は気持ちよいが「本当の美」や「本質」を見誤るような気がする。

 偏屈ジジイの私としては中世の隠者が言ったように

 『花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ』

 想像する美しさ、そしてむしろなにげない自然の風情に感じる趣、あるいは表面的な華やかさはないが奥深い幽玄・枯淡の美に惹かれる。

 満開の桜、花吹雪に舞う桜木は私にはあわない。

 満開を過ぎつつある今日この頃、公園の池では散った桜の「花筏」が水面を漂っている。

2 件のコメント:

carlos さんのコメント...

 やまさん、今日の「桜への考察」記事、ええなあ。
 みんながあほうみたいに、桜の下をぞろぞろ歩いている。まあそれはかんまんけんど、日本の桜、桜文化には濃いものがある。それをよく教えてくれました。

 ところで今、「痛風」になって痛くて泣いてます。
 お酒はまったく飲まないけど、治療薬の副作用で尿酸値が異常に上がり、なってしまうそうだ。
 桜を見に行きたいと思っているけど、家の中でも杖がいるような状態なので、困っている。今年に見ておかないと、来年は見られないなんてふと思うんで、気が落ち着かん。

yamasan さんのコメント...

カルロスさんへ

 若いとき私の大叔母が通風で普通に痛いと言うどころか激痛と言ってました。昔だからいい薬も無かったんでしょうね、最後は手足の指が変形していたようでした。タンパク質の多い食事やアルコル、飲む薬によって引き起こされると聞きましたが、昔と違って治療は格段に進歩してますから痛風自体だとそれほど心配は無いんじゃないですか。専門家でないのに勝手なことを書きましたが、お大事にしてください。

 桜についてですが、近年私が見た中で最高の場所は一昨日行った「神山・ゆうかの里」でした。息をのむような見事さ、行くのだったらもう今がギリギリの時期でしょうね。銭湯でのジイサン連中の評価でもここが一番でした。

 坂口安吾の「桜の満開の下で」という短編時代ものを読まれたことがありますか?兼好法師ではないですが、「花は盛りに・・見るべきものかは」と言うように、満開を直接見るばかりが観桜ではありません。この本を、全山これ桜!というように想像を働かせながら、頭の中で妖気漂う桜の森を鑑賞するのも一興かと思われます。