2023年3月12日日曜日

桜と椿

 みんな桜が好きだなぁ~、早咲き桜の一種である「蜂須賀桜」が満開に近づいたというのを聞きつけてか、午後城山の助任川沿いを歩くと大勢の花見客が桜並木をそぞろ歩いている。

 横にはテント張りの茶店もある。

 蜂須賀桜は色がソメイヨシノより少し濃く、桜色というより桃色に近い。

 私の春の花木で好みを言わしてもらうとすれば、ツバキ>もも>山桜・・・そしてソメイヨシノはず~っと下位になる。この好みは私が特殊なのであって、多くの人は花見の対象となるソメイヨシノが大好きである。ツバキなんど、だ~れも見向きもせん。

 その証拠に、この城山公園にこの蜂須賀桜並木と同じ椿並木が近くにあるのをほとんどの人は知らない。(ちょうど蜂須賀桜並木が城山の北であるのに対し、椿並木は城山を挟んで反対側南にある。蜂須賀家政の銅像の裏側)、当然、この日、そこへ回っても人っ子一人いやしない、私一人がその並木を歩いて写真を撮った。

 桜の落花は花弁片であるが、椿の落花は花ごとボタリと落ちる。桜が好きな人は花吹雪なんぞに吹かれたら恍惚とするだろうが、私はこの落ち椿が風情があって好きである。椿は桜と違い濃い緑の葉の間に隠れるように点在し、そして落花も同じように人知れずひっそりしているのが好きである。

 舌足らずの私が桜と椿の魅力の違いを例えていうとしたら、桜はあふれる色気と魅力を積極的に振りまく花、美を押しつけてくる。それに対し椿はむしろ吸引というか、人の目にその美を引きつけてくる。消極的な美とでも言ったらいいのだろうか。天邪鬼で変人の私はだから椿が好きなのである。

 だいたい字の暗喩からして、桜は次のようなもの、ある下宿屋の二階に、妖艶な年増の女がいて思わせぶりな態度をとり、時には夜、ピンクのネグリジェで何の用事か降りて来てまた帰って行く、まるで誘惑するように、だから下に下宿する童貞男は常に悩まされている。

 二(二階)の(気)にかかる、という文字の作りである。

 それに対し椿は至ってシンプル、春の木、そのもの。

 また同じ娼婦を描いてはいるが、鶴屋南北の「桜姫」より私はデュマ原作の「椿姫」のヒロインのキャラの方が好みに合っている。だからやっぱ、私は椿が桜以上に好きだ。

 以上、しょうむない私の桜椿のお好み談義でした。

8 件のコメント:

carlos さんのコメント...

徳島公園・助任川南岸の蜂須賀桜は毎年、多くの人が楽しみにしてます。
でも、公園の反対側に「椿」の並木があるのは知らんかった。
やまさんの写真を見ると、なかなか趣きがあるものですね。
行ってみたいな。

ここの蜂須賀桜は、2年前に行ったなあ。
昨年は入院はしてなかったけど、毎週病院で点滴受けてた。
副作用ですっかり体力がなくなった。今日に至る。

今は、春が本格的に来るのを、地中の虫のように待っている状態です。

yamasan さんのコメント...

カルロスさんへ

 そうでしょうね、こちらの椿並木はほとんどの人が知ってか知らずか無視しています、桜と同じ季節なのにね、椿並木と言いましたが、写真を見るとわかるように平行に両側に続いていますが、人が一人通れるくらいで、木も丈が低く、どちらかというと椿のトンネルと言った方がいいかも、どうも私のブログは全般的に大げさな表現が多いようで、みたら「ショボっ!」ていうかも知れません。ちょっと季節は忘れましたが、この椿並木で椿の実を見て、もいで持ち帰ったことがあります、椿油が取れる実なので珍しかったからです。

 カルロスさんは療養中と言うこともあって外へはあまり出られないようですが、室内での余暇はどうされてます。読書、音楽、などいろいろあると思うのですが、自分も手術直後の経験から言えば肉体がセコイ時は読書も音楽もやる気しませんものね。まぁそこはカルロスさんだからいろいろやっておられるんでしょうね。

 私はグジュグジュしたド演歌が好きです、人少ない時銭湯でうなってます、それも昭和40年代の、♪~どうせ~私はダメなのよぉ~、的な、花の関連でいうと、こんなド演歌に合うのは、椿です、桜では色気、派手すぎて暗い演歌には向きません、♪~濡れて傷つく紅椿、だの♪~履いたわらじに散る椿だの、一番新しいのでも♪~あんこぉぉぉ~ツバキぃぃぃわ~、

 カルロスさんのコメントの最後に「・・地中の虫のように」とありましたがカルロスさのこの「地虫」から、すぐ私はカルロスさんがお近づきになったという「中上健次」の芥川賞作品「岬」、その冒頭が「地虫が鳴き始めていた・・」で始まるのを思い出しました。今までにない小説で少なからぬ衝撃を受けたのですが、なんども読みましたがまた読んでみようかな。

 ホント暖かくなったら地虫のように活発に活動し、サナギから蝶へと変身するように華麗に転身出来ればいいですね

carlos さんのコメント...

 大江健三郎さんが亡くなりました。
 中上健次さんは大江さん作品の影響を強く受けていました。初期の作品の文体がパクリそのものだった。中上さんは1992年に46歳で逝ってしまった。大江さんの継承者とも思っただけに残念だった。

 やまさん、なかなか体調が戻らないのでこの頃、弱気です。ひきこもり生活で、自由時間が十分にあるのに、一日終わると、あれっ今日は何してたんだっけという、ぼんやりした状態です。

 とにかく、倦怠感がひどい。さらに厭世感まで強くなってきた。もう自力じゃ変わらん。「季節」そのものが変わって、暖かくなって、陽がいっぱい満ちてくれないと、なんて思ってます。

yamasan さんのコメント...

カルロスさんへ

 大江健三郎はまったく読んだことがありませんがノーベル賞受賞したときは少しそそられました。中上文学はほとんど読んでますが、ごく初期の作品は多分読んでないかと、芥川受賞作以後、特に「路地」に生まれた宿命を描く、アキユキの物語とそれの系譜の小説ですね。

 中上の文体は確かに読んでいて異質感があり、これはどこから来ているのだろう、と思っていました。大胆な口語的表現、主語、動詞、修飾語などの位置のちぐはぐ感がありました、我々も下世話の阿波弁ではこのような表現が普通、それだけに斬新な小説でした。なるほど、大江さんからかなり影響を受けているのですね。確かに大江さんの文体もかわってますね(ごく一部教科書に採択される文など読んだとき)、これはフランス文学の影響を受けて、日本語とは違う文法構造から大江さんが影響を受けたのではないかと書評を読み、納得したことがありますが、おもわぬところで大江さんの文体が中上さんの初期の作品に影響しているんですね。

 かたや東大でのエリート文学者、かたや高卒で肉体労働で汗を流す中で世に出た小説家、大江さんはほぼ天寿を全うしましたが、私としては中上さんの方にもっと生きてもらいたかったのに残念です。

 老病を抱えての生活、カルロスさん、まったく私も傾向としてはそうですよ。若いときは結構本の多読を誇ったのに、最近は読む気力も衰え、そして一冊読むのにも何日もかかり、全編読まないまま終わることもしばしば、60代までは布団の中に入り簡単な本など一冊読めましたが、今はそんなこと出来ません。肩腰痛く、目も疲れ肉体が許さなくなりました。日中集中してすれば、と思うのですが、そのそれ!ボォ~とする時が私も多くなっています。

 病も抱えてますが幸いにすぐ死に至る病ではありません。しかし既存の病も深刻度は増し、また新たな病を発症するのは、私も70過ぎて最後は死に向かうのですからもう運命ですね。日々の常用薬も増えてます。薬に頼りたくないと思ったのは60代まででもう70過ぎたら副作用だのへったくれだの行っておられず頼るようになります。もう終生使い続けるででしょうね。向精神薬の安定剤も、止めようと思っても止められません。もういまは苦痛のない安楽な時をもたらしてくれるのならそれでいいかなとおもってます。

 私の場合、足はまだ達者といえるので、できるだけ歩いたり自転車に乗ったり列車でまわっています。ウロウロが過ぎてほとんどホームレス状態です。家には寝に帰るくらい。半分冗談ですが、大鎌をもった死に神に捕まらないように、夜以外は所在を転々としているようなもの。もっとも夜迎えにきたらドモなりませんが(笑い)。

carlos さんのコメント...

やまさん、ええ人やなあ。
元気づけられた。
ありがとう(^_^)

Teruyuki Arashi さんのコメント...

やまさん元気ですね。あと気持ちも前向きですね!見習わないといけませんね。

yamasan さんのコメント...

 >>みなさん気をつけましょう

 昨日くらいから鼻水たら~の鼻炎症状が見られたが、今朝、起きると喉もおかしい、少しだるい体だが、朝はこんなものと思っていたが、昼くらいから筋肉や関節がダルく、かつ鈍痛のような症状がでて頭痛もする。全身的に風邪のようなダルさやしんどさだ。熱はない。

 そう、かなりキツイ花粉症だ。7年前神山に桜を見たあと、このような悩ましい症状になった。若干それまで花粉症の症状はあったが、この年の症状はなんか棒でガツンと殴られたような発作的な重い花粉症だった。

 あまり鼻喉、頭痛で辛抱できず、耳鼻咽喉科へいった。そこでまた病気とは違ったショックを与えられた。なんと当日の医者代が1万数千円、ヒックり返りよったわ!明細見ると、採血して20種類くらいのアレルゲンの抗体検査がなんと1万!スギ花粉ってセンセェ~わかっトルンチャウで?案の定、何日か後に検体結果の一覧表をくれてみたら、スギが第一、その次にヒノキ、他のハウスダストやダニなどの項目はほとんど反応なし。

 薬はその抗原であってもアレルゲン対策の対症療法なのにこの検査一万は痛かった?医者と検査会社が結託して無駄な検査で儲けよんじゃないかと強く疑ったわ。

 それから請求が恐ろしゅうて、花粉症では死にはすまいと、耳鼻科へ行くのはやめた。おもに薬屋で点鼻薬のお世話になった。

 幸い、というかなぜか、その7年前の花粉症はひどかったが次の年からは鼻水ズルズルくらいですんだ。

 ところが今年、昨日から7年前と同じような重度の症状が現れた。透明な水洟なので花粉症に間違いないと思うが、喉、頭痛、倦怠感でしんどい。

 頭痛と倦怠感はいつものようにアスピリンを飲むとして、アレルギーの内服薬もあるにはあるが、その例の7年前にもらったカプセルの薬、飲んでいけるか?古いから飲まんほうがええやろな。

 さてなんで今年は重度になったか、考えてみた。素人考えだから妥当性はないが

 ●今年は花粉の量が多い
 ●コロナで皆マスクしてたから、お山のスギさんも、ここ数年これじゃぁ花粉飛ばす所為がないわ!ちゅうて飛ばさなんだが、一昨日から全国的にマスク外してもいいということになったから、スギさんが、ここを先途とコロナ下の3年分を放出した
 ●コロナの予防注射で免疫系がいわば過剰反応し、花粉症の症状が重くなった
 ●単なる私の体の問題で歳とともにアレルギー反応がキツくなった。

 カルロスさん、テルさんどれだと思います?

carlos さんのコメント...

「今年は花粉の量が多い」ではありませんか。
私の家族は、元々花粉症で毎年、薬をもらいに行ってます。
先日は、呼吸困難になるほど、苦しんでました。
ぜんそくかと思ったけど、花粉症だそうです。
鼻が完全に詰まって、息ができなかったそうです。
救急車を呼ぼうかなと思ったくらいです。
医者へ行ったら、今年はスギが特に多いとか。

マスクを外すのは怖いです。元々、コロナ以前から呼吸器の病気なので人が多いところではマスクをするよう言われてましたので。
でも、マスクすると苦しい。人がそばにいないときは、外してますけど。